2004年11月20日土曜日

お迎え

 中野の御老体は部屋ではナカジイと呼ばれていた。年を偽っていたかも知れないが自称69歳の懲役太郎である。たぶんいつになっても69歳なのだろう。歯がほとんど見あたらなく、口のまわりは皺だらけになっていて痩せてみすぼらしい姿であった。身の上話はほとんど口から出てこなかった。家庭を持った事がある、と一度だけオレに遠目で言った。若い時はそれなりのサッシ職人であったらしい。その腕で泥棒行脚をして暮らしていた。年老いてからはそれも叶わず無銭飲食の常習となってここに入ってきているのだった。そして単純窃盗の累犯は早めに判決がおり拘置所から刑務所に移監される。たとえ蕎麦とおにぎりで720円であってもだ。
 オレは完黙に近い不埒な振る舞いをしている為、弁護士以外の接見が禁止されている身分だった。検事に逆らっているオレが読む事の出来る本はつまらないものばかりであった。備え付けのアレである。その中でナカジイは仏典を見つけて、なにかと言えばお釈迦様の事を教えてくれ、と言った。オレは人に教えれるほど深く読んでいるわけでもないから教えれないと言った。が、ナカジイは老眼の為読めなかった。仕方なくオレは彼に2、30分程度なら勉強がてら、つき合っても良いと言った。部屋長はそんなジジイの言う事なんか放っておけ、と言ったが退屈しのぎだからと、了解を取った。また了解を取らないと部屋の他の連中と揉め、喧嘩になる場合があるからだ。まして、仏典ともなると大きな顰蹙をかう事は目に見えていた。ケダモノにお経かいっ!けっ!て言う者もいたがオレは無視した。土地柄、「アレ本」は真宗聖典である。幼い頃お寺で育っていたオレにとってはなじみ深いものであった。しかしながら、蓮如上人の御文は勘弁してくれと言った。オレにとっては子供の頃を思い起こし過ぎるからだ。また獣が読んで、どうなるものか、と言う気持ちもあった。それで「観無量寿経」となった。物語性がある故オレの頭でも語り易いと踏んだからだ。3日ぐらい過ぎた時にナカジイはオレに問うた。
「下品下生でも極楽に往けるんか?」と。オレはたぶん質問として出るだろうと思い、往けると書いてある、と答えた。
「ただし、罪が深いほど念仏を唱えないと極楽からのお迎えも来ない」とオレは勝手に付け加えた。来るわけがない、とオレは心に思っていたからだ。お経も読めないジジイが今更何を言いだしやがる、とも。
 翌週ナカジイに720円の判決が下った。常習で改悛の情が見られないと云う事で2年8月の刑であった。
 移室のときナカジイはオレに「いい事聞かせて貰ったよ。これでオラも安心だ。な む あ み だ ぶ つ」と頭を下げた。
部屋のみんなは笑い転げていたが「元気で長生きするんだぞ」とオレはひと言声をかけてやった。そして移監されて行った。
 その秋、ナカジイは金沢刑務所の霊安室に入った。
享年 74歳

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