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2007年8月18日土曜日

遊侠の徒

 一昨日のことだった。送り盆も終わり一息入れているところにオヤジから電話が掛かった。「加賀の田中が死んだと聞いたが、そうなのか?」とその声は低く重かった。私は、またその話かと思ったが調べてから返事しますと答えて電話を切った。もともとその男が入院したという話は先月若い者から聞いていたので近い内に見舞に行こうとは思っていた。だが死んだという話はまだ聞いていなかった。現に1週間ほど前もある者から問い合わせが来て調べたばかりだったからだ。噂がすぐに大きくなるのもこの世界の通例といえるだろう。今回も結果的には死んではいなかった。その旨オヤジに告げるとお前が名代として明日にでも見舞に行けと言った。
 午前11時だというのに気温は36度を越えていて国立病院の大きな駐車場はそのアスファルトの照り返しによって私の首筋に大量の汗を流れ下らせた。前もって室番号を聞いていたのでそのまま真っ直ぐ八階の病室に向かった。エレベータを出てナース・ステーションの前を通り過ぎたところで聞き覚えのある声で呼び止められることになった。当時の舎弟頭補佐をしていた男であった。もう70は過ぎたはずで角刈りだった頭も禿げあがり髪も真っ白になっていた。そして当時精悍さを誇っていたその顔も面影はなかった。簡単な挨拶と名代であることを告げると彼は深くお辞儀で返し、そのまま簡易な椅子が並んでいる隅にあるコーナーに私を誘った。隅にある自販機から緑茶を私に差し出すと言った。
「儂等三人(舎弟)が24時間交替で付き添っていて各自家には着替える為だけ帰っています。肝臓癌です。医者の話だともう今月いっぱいももたないと言ってます」
 私の返す言葉なんか無かった。そのヒトは独り身であった。随分昔のことではあったが娘がまだ小さかった頃妻子と別れてしまっていたからだ。そして今まさにひとりで死に向かおうとしていた。
「喋れるのですか?」と私は聞いた。
「まだ大丈夫です。時々時間の感覚が跳びますが、南無さんが来たということになれば大変喜ぶでしょう。結核も併発してますのでマスクをして下さい」そういって私にマスクを手渡したがたいした役にも立ちそうもなかったので装着しなかった。そのまま個室である病室に案内され入った。やはり顔見知りの舎弟がひとりベッドの脇の椅子に座っていたが私が入室すると立って軽く会釈を交わした。ベッドによこたわっているそのヒトは頬が落ち痩せさらばえ骨と皮になっていた。入れ墨のはいった腕には点滴針が刺さっていた。仰向けになって閉じられた瞼の上にある入れ墨の眉は昔のままだった。付き添いが私が来たことを告げると静かに目を開け、屈むようにして上から覗き込んでいる私の顔をじっと見つめた。
「オヤジの代理で来ました。私が判かりますか?」と聞くと黙って頷き私の顔をまじまじと見つめていた。
「アニキは元気なのか?」とまだ力の残る声で私にオヤジの近況を問うた。
「はい。歩くことは少しおぼつかないですがまだ元気です」と答えるとまた黙って頷き、聞き取りにくい声でなにか言った。もう一度耳を近づけると再びそのヒトは喋った。
「お前、老けちまったな」と。私は場違いのようなその言葉に一瞬戸惑ったが気を取り直し笑いながら答えた。
「もうすぐ60になりますよ」
「そうか、もうお前も60になったか。ろくでなしの60か…」と笑った顔を見せた。どうやら私の若い頃の顔を記憶の隅から呼び起こしているようだった。数え切れないほどそのヒトに迷惑を掛けた若い時代のことが私の頭の中を一瞬よぎった。そして突然「娘が来てくれた」とぼそっとそのヒトは言った。付き添いの者に目を向けるとその者は黙って私に頷き返した。きっと誰かが娘を探し出し頭を下げ説得して連れてきたのだろうと推することが出来た。
「娘さんに会えてよかったですねぇ」と私が言うと黙って頷いた。そのヒトの目に涙があった。そして、あとは何も語ろうとしなかった。
 帰る車中の窓の外を眺めると遠く見える市街地のビル群の上にかげろうが揺らめいていた。そしてそれが私の居る灼熱地獄の風景なのだろうと思った。

2006年1月1日日曜日

マドラー

 久しぶりにオヤジから夕飯の誘いの電話があった。
「タモンに七時頃まで来い」
 そういえば二ヶ月以上も顔を見せていなかった。名古屋での仕事がトラブル続きになり最終的な弁護士との交渉事に振り回されていたからである。また向こうとの往復出張も重なっていていささか気分も滅入っていた。
 オレはそこそこに書類仕事を片づけて車に乗り込み夕刻のラッシュを抜けハイウェイを飛ばした。左手に夕日を浴びた穏やかな日本海が紅に染まった鏡のように広がっていた。いつもであればもうすぐ迎えるであろう大陸の風で荒れ模様を見せる海であるが珍しく小春日和となっていた。長く北陸に住むようになると時々見せるこのような風景に心が和む。しかし天はヤヌスの如く明日には牙を剥き出し違った顔を見せつけることもある。

 二ヶ月前、オレは名古屋のダチの情報により第二名神高速道路の工事が進むなか、桑名にある廃棄物処理工場移転の利権絡みに介入していた。用地買収金がたんまり入る地元廃棄物処理会社の利権を裏稼業として見過ごすことが出来ないからだった。また工場移転候補地の確保はオレのサイドで既に出来上がっており廃棄物処理会社との交渉も思いのほか順調に進んでいた。しかしここ大詰めというところで、四日市に本拠地を置いている組織が突然代理人という触れこみで利権介入してきたのであった。
 オレが常宿にしていた名古屋中区の錦通りに面しているホテルのロビーへいかにも厳つい軍団として数台の車でやって来た彼等はロビーに溜まり、その内の数人が一階にあるカフェで待っているオレの席にやってきた。篠塚と名乗った先方の幹部格の男の言葉は丁重であったが中身はとてもオレがのめる条件ではなかった。つまり「手を引け」と言うことに他ならなかった。こちらはオレを含めて三人であったが下がるわけにはいかなかった。なんと言っても玉(利権金額)は大きかった。特に今回オレのボディガードも兼ねていた亜根羽はそれなりの組の幹部としてのメンツも絡み、話し合いの場としては決して引っ込むこともなく相手方と目で火花を散らしていた。こういう物事の交渉ごとというものはどの程度まで互いに突っ張るのかと言うことでしかなかったがお互いに最終的なそれには触れないようにしていた。いったん結論は次回と言うことでその場を納めたが、納まりつかなかったのはオレ達であった。ヤツらは仕掛けたオレ達に正面切って横車を押してきたのである。地の利で形勢不利というものの一円も取れないという事になれば看板を下ろすしかなかったからだ。部屋に戻ってからのオレ達の気持ちも憤懣やるかたない気持ちであった。亜根羽は特に黙りこくったまま何か考えているようであったが敢えてオレはそれを無視した。割の合わないことだけは決してしてはいけないことであるからだ。
「南無さん、どう切り回すつもりなんでぇ?」と亜根羽は怒りに満ちた顔をオレに見せながら聞いた。
「このまま一文無しになるわけにはいかねぇ。といってもこのままの持久戦では地の利の薄いオレ達が不利に決まっている。おめぇになんかいい考えでもあるってのか?」
 オレはヤクザの常套句を聞くつもりはなかった。メンツに傾けば銭を失うだけでは済まないことも明白であるからだ。
「考えるためにあんたがいるんだろうがっ!おれっちにそんなもんなんかあるかよっ!だがな、このまま引き下がるわけにはいかねぇ。あんたさえ決めてくれたらナンボでも突っ張ったるわい」と亜根羽はオレに答えた。

 盛り場のほぼ真ん中に位置する「タモン」はいわば市内一番の高級ステーキ・ハウスである。オレはそのまま車を店の正面に止め店内にに入ると受付で車のキーを預けた。慇懃な素振りで支配人がオレを出迎え丁重に頭を低く下げオヤジの席へとオレを案内した。
「永らく失礼をしていました」とオレはオヤジに頭を下げると支配人が後ろに引いた椅子に腰をかけた。テーブルの上にある83年のシャトーマルゴーをオレのワイングラスに注ぐと静かに向こうへ去っていった。
「おう、名古屋での一件は聞いてるよ。スクラップ屋というものは所詮ウダウダ言うに決まっているもんだ。ま、はじき飛ばされないようにな」とニヤリと笑ってオレの顔を見た。
 もうすでにトラブル情報は耳に入っているというわけだ。
「はぁ、どうも予想外の展開になってきましてね。二つにひとつという塩梅になってきました」もうオレにとっても行くか泣くかでも済まなくなってきていた。
「南無よ、値打ちはどれくらいあるんだ?」
「一丁以上(一億)はいくでしょうね」
「では結論が出てるようなもんじゃねぇか」
「はぁ?」
「出方によっちゃ、二丁にもなりうるじゃねぇか。頭は使うだけでは足りないんだよ。駒が動かせるかどうかでしかねぇ。いつまでも半端なことするんじゃねぇ。大阪の内川には話をつけたる」
 今は大阪にいる内川はオヤジの昔の実子分であり亜根羽の大親分格に当たる人間であった。いかのオレでもそのクラスにまで口先を入れるわけにはいかなかった。また内川まで巻き込むとなると事が大きくなり過ぎて収拾がつかなくなることも考えられた。しかしここに至ってはオレは黙っているしかなかった。オヤジはそんなオレを無視するかのように勝手に話を進めていくつもりのようであった。そのままオヤジは電話でオレと一緒に戻ってきた亜根羽を呼び出し、次の店でオレ達三人が落ち合った。

 そしてオレは三日後再び亜根羽の他に20人ぐらい連れて四日市に向かった。そして大阪の内川からも応援部隊として30人ぐらいが一足先に四日市諏訪栄町のホテルに入り込んでいた。
 四日市の篠塚の思うような展開にならなかったことはその結末が示していた。亜根羽は、双方が話し合いのために落ち合ったホテルの最上階ラウンジでいきなり篠塚の手首を押さえつけ出刃を振り下ろし左指5本を第二関節から切り落としたのであった。あっという間の出来事でありこのオレでさえ予想だにしていない出来事であった。
「篠塚さん、この返しはオレの小指でええやろ」亜根羽はそう言い終わると自分の左指の第一関節にたった今使った出刃を打ち下ろし指先を切り離した。
「これで互いの目方が合うじゃろうが」
 亜根羽はそう言ってウエイターにスコッチの水割りを用意させ自分の切り落とした指をそこに入れゆっくりとグラスの中を回し始めた。

-了-

2005年3月12日土曜日

老犬

 当時オレは福井で破門になった野郎と駅前を根城にして五人で徒党を組んでいた。恐喝や詐欺行為を働くクズ集団である。日本人はオレと松本を出所したばかりの詐欺師のオッサンで、あとの三人は朝鮮人の食いっぱぐれた愚連隊である。駅前は中心街から少し離れていて金筋モンの目からも逃れることが出来、仁義も屁ったくれも無い我々にとっては、それなりの天国だった。つまり、やりたい放題である。しかし調子に乗りすぎて領域を越えてしまい、とんでもない金を結果的に沈めてしまった。そしてその金のことはオレとオッサンは話から外されていてまったく知らなかった。朝鮮人が民族の団結とばかりにオレ達日本人を外して仕事をかけたのだった。常に即物的にしか生きてない中でも手を出していけない領域はあったのである。
 まず奴ら三人の連絡がパタリととれなくなり消えてしまった。いつもの喫茶店にはオレとオッサンしかいなく、二人とも様子がおかしいことに気づいていた。それなりの嗅覚というものは悪党には自然に備わっていくものなのである。取り敢えず喫茶店を外し、ホテルのロビーへと場所を変えて情報収集をすることにした。結果は最悪であった。追っ手がかかるのは時間の問題だったのだ。懲役の回数と同じ八度目の結婚をしたばかりのオッサンは真っ青な顔をオレに見せた。
「南無さん、相手が悪すぎるよ。オレは伝手(ツテ)を頼って女と青森にでも蒸ける。アンタもどうだ?」とオレを誘った。
「どうするって言ったって、オレにはどこも行くとこなんかねぇよ。だってそうだろうが、オレ達の知らない事じゃないか」
 オレは不満であった。関係ないじゃねぇか、と。オッサンはそそくさとオレの前から去っていった。オッサンは伊達で太郎(懲役)をやっていたわけでないことはその後直ぐオレに分かった。
 次の日の夕方、行きつけの赤割屋で飲んでいると、競輪帰りの隣の常連がオレの顔を見て、あごで入り口を指した。入り口に数人立っていた。そして一人がやってきた。
「南無さんだな?来てくれるか」と言った。
「いやだ、それにおめぇなんか知らん!」とオレは立ち上がった。カウンターしかない店で人ひとりがやっと通れる隙間が壁板との間にしかないバタ小屋である。当時百キロを越えていた身体でオレは腕力には自信があった。どうせやられるんだ、順番に来いっ!ひとりを蹴り倒し足の下にし、そのまま椅子を振り上げて入り口に向けた。しかしそれまでであった。三人が一挙にカウンターに飛び上がり、なだれをうってオレに襲いかかった。正面から来た野郎にしたたかうちのめされ、おれの身体は崩れた。あとは倒れたオレの足を掴み表までずるずると引きずられて行った。

 そして、オヤジに出会った。
「失業中らしいな?ま、もっともおめえのようなクズはもう雇ってくれるものはこの街にはおらんだろうがな」とオレに問うた。
「金も財産もオレには無いっ!何を言われてもどうにもならないんだよっ!」といわば反抗的な態度でオレは答えた。
「どうやらいきさつにはおめぇが関わっていないことが分かっている。しかし、いまとなれば、唯一逃げなかったおめえに責任をとって貰うしかないのだよ。言い訳は通用しねぇ。だと言って、おめぇを煮て喰おう、焼いて喰おうというわけじゃねぇ。手を煩わせるな」
 顔は笑っていたが、オレは初めて死の恐怖を覚えた。そしてそのことがオレに敗北感も教えた。もっともいまだ嘗て何にに勝ったということもないのだが。
「で、どうしろというんだ?」
 恥ずかしいが声は震えていた。
「おめぇの仲間が嵌めた後始末をして貰いたい。調べたところ大きな会社にもいたことがあり、おめぇにはその能力があるようだ。今日は帰っていい。しばらく考えてからここへ来い。ついでに毎月生活出来る程度の金の面倒は見るつもりだから、事務員におめぇの預金口座番号を伝えておけ」
 それで終わった。そしてオレは狂犬のまま縛られたのであった。

 病院の廊下でオレはオヤジの腎臓透析が終わるのを待っている。今のところ週一回であるが、やがて回数は増えてくるだろう。オヤジの娘が忙しい時はオレが病院に連れて行くのだ。それ以外誰の言うことも聞かない。オヤジも76歳となりオレの手がないと階段を上がることが出来ない状態になった。
 そしてこのオレも年老いてしまった。今は二人で共に静かに死の影を見つめている。

2004年11月15日月曜日

背負う闇

 朝の六時過ぎでは窓から見える通りもまだ車が少なかった。まさしくひさしぶりであった。三階の取調室で容疑がわからずオレの頭はしきりに回転していた。
「南無、ひさしぶりだの」飯田は相変わらずの不遜な物言いでオレの前に立っていた。
「と、言われてもですね、もう七年です。さっさとやって下さいな」オレの言うことなど聞く耳もなく黙って飯田は部屋から出て行った。

 犬が激しく吠える声でオレは目覚めた。小さな庭に面している寝室の長戸の向こうに人の気配がした。障子を開けると人相の悪そうな男達が立っていた。長戸を明けさせられ犬走りに靴を脱ぎながら男達は入ってきた。
「南無だな、県警だよ。悪いが着替えてくれないか?」責任者らしい男がオレに言った。
「任意ですかね?」
「どちらでもいいよ。あっ、それからこれがガサ状だ」商業登記法違反云々という文字が一瞬だけ垣間見れた。
「洗面道具持って行ったほうがいいですかね?」オレは泊まりになるか聞いてみた。
「あぁ、そうしろ」相手はぶっきらぼうに応えた。
 オレは布団をたたみ、押入に入れ、洗面所へ向かった。歯を磨き顔を洗いながら、思い当たる節を考えてみた。でもそんなにたいした事は無かった。
やがて、二階から妻が高二の長女と不安そうな表情を見せて階下へ降りてきた。
「どうしたの?」と妻はオレに聞いた。
「判らぬ。ちょっと行ってくるよ」
 中に入った連中の一人によって玄関の鍵が開けられると外に更に数人が立っていて、一斉に家になだれ込んだ。
「あっ、奥さんですね。県警の森田と云います。今から令状に基づいて捜索をさせていただきます。立ち会って下さい」
「・・・・」妻は黙って彼と一緒に居間の方へ行きなにか説明を受けているようだった。
「さぁ、行こうか」と年配の刑事がオレの手を取った。オレは長女の顔に視線を一瞬投げかけた。怒りと蔑みの目でオレをじっと見て唇を噛みしめていた。前の時は小学生だった。今はもう意味は分かる。玄関で靴を履き、オレは長女に振り返りざま言った。
「お母さんを頼む」
 返事はなく目から涙があふれていた。

 しばらくすると何人かが別の取調室に入れられていく音が耳に入ってきた。午前中、オレへの取り調べは何も行われなく、拘束の宣言もなく部屋で放置のままであった。時々若い刑事が入れ替わり立ち替わりやって来てオレの顔を見るとニヤリとしてドアを閉めて行った。先程の年配の刑事がやってきて出前の親子どんぶりを部屋の机の上に置いていった。
「なんなんですかね?」とオレはその刑事に聞いてみた。
「たいしたことではないのだよ。そこで飯でも食ってろ、気にするな」
 当時、妻は二カ所でパートをやり、オレは友人の小売り販売の手伝いをしながら生計をやっと立てていた。時々は昔の連中から呼び出され片手間仕事もしたが、法に触れることは一切やっていなかった。嫌な奴からの依頼仕事はキッパリと断ってもいて逆に恨まれたこともあったが貧乏ながら平和な暮らしだった。
 夕方の五時半頃、暴力犯(マル暴)の飯田が取調室に戻ってきた。中学時代からの一級先輩でねちっこく蛇みたいな野郎だった。
「南無よ、ちょっと協力してくれねぇかな。どうも、うまくいかねぇ。腹までくだってきて、神経やられたぜ」腹をしきりにさすりながら陰険な顔つきでオレを見た。
「協力も、何も、容疑がなにかも聞かされておりません。商業登記法違反のガサ状だけしか見てません。ですから、見当もつきませんよ」
「ふふふ、そんなことはどうでもいいんだよ。なぁ、南無よ、こそこそいろんな事やってるらしいじゃねぇか。ええっ?今後も見ぬふりしてやるから、ちょぴっと歌えや、なっ?」
「係長さん、あなた、暴力犯でしょう。私なんか、関係あるんですかね?あなたから言われるようなことなんか何もやってませんよ」
 とどのつまり、飯田の話はこうだった。高級車を乗り回し毎晩のように夜の桜木町を徘徊しているくらい南無は金回りがいい、と。オレには錆びつき、トランクに穴の空いたポンコツ車しかなかったのだ。どこでそのような話を吹き込まれているのかは想像ができた。高森の仕事依頼を断ったからだ。ひとでなし犯罪の加担はオレに曲がりなりにもある「ルール」から外れることになる。そういう連中はオレを平気で裏切る、そしてサツにこのように売り飛ばすのだ。いざとなったら、オレの家の郵便箱に馬鹿チャカでもガンコロでも入れてサツに通報する最低の愚連隊共なのだ。飯田は奴等から情報と金で貢がれていることはオレも知っていた。温泉、ゴルフ接待、海外旅行なんか序の口であった。どこにでもいる腐ったお役人の一人だった。
「これだけ被害調書がある。全部で四件だ。どうするんだよ、南無。ベントウとれたからって言ってもなぁ、また入れられていいんかよっ、なぁ、・・・、二人の娘がまた泣くぞ。ふふふ・・・」飯田は被害調書の束を手に取り頭上でひらひらさせた。
 どうせ公判請求まで保っていけない容疑に決まっている。被害者なんか全部犯罪者か詐欺師共だ。相変わらず品性の無い先輩だぜ、とオレは黙っていた。
「てっとりばやく言うがな、32丁だよ。えっ、なんか聞いてるんだろう?」
 テッポウなんて意外だった。そんな事柄でオレを引っ張ったのか、と思うと愕然とした。ヤクザでもないオレがそんなことに関わるわけもないことだからだ。
「いわれた意味が分かりません。チャカなんかオレとどう関係あるんですか?まったく聞いたことも見たこともありませんよ。もし飯田さんが本気で言ってるんなら、アンタの頭はイカレだよ。煮るなり焼くなり、どうでもしてくれよ」オレは足を出したのである。この糞ったれの悪徳警官めがっ!おめぇこそ檻の中に入ってろっ!と。
「けっ!あほんだらっ!いっちょ前に開き直るんじゃねぇよ!俺はおめの損得考えて言ってやってんだぜ」飯田の頬は引きつっていた。
「言いたい事がわからないから言ってるんですよ。アンタのやってる事はデタラメじゃないですか。私がどうしてガサなんか食うんですか?その32丁が出てくるとでも本気で思ってるんですか?私こそアホらしくてアンタについて行けませんよ」
 飯田は座りなおして調書を広げた。
「まぁ、聞けよ。これによるとだな、昔おめえが持っていた株式会社弥生物産を山川の外道に売ってるな。聞いたところ株主総会も取締役会も”正規”に開かれずに株式の譲渡を行っている。こりゃぁ、公正証書原本不実記載って言ってな立派な違法行為だぜ。な、他の役員からの被害届が俺の方に来てな、おめぇに出向いて貰ったわけだよ。なっ、わかるだろう」
 取締役の内、カタギはオレしかいない幽霊会社の事だった。それをオレは山川組の若頭村埜にうまいこと言って実費プラスアルファで売り飛ばしたのであった。時は「暴力団新法」成立直前の頃であった。インチキ会社だろうが真性会社だろうが法は平等なのである。つまるところ、こんな事は日本中、日常茶飯事で行われている事に過ぎない。これで起訴をしたら全国数十万人経営者を起訴しなければならないからだ。父ちゃん母ちゃんで出来てる同族会社の取締役会なんか開かれるはずも無い。飯田は愚かなことだが自分の飼い犬である高森の口車にのり、ひたすらチャカを狙って一斉取り締まりを各所轄を動員して行ったのである。もっとも飼い犬は飯田の方であった。
「ああ、それだったらアンタが今すぐ調書に書いて下さいな。速攻で加害者としてハンコだろうが指印だろうが押しまっさ。さっさと送検すればよろしいがな。被害者が元ヤクザと現役ヤクザで加害者がカタギってきっと笑い話になるぜ」
「おめぇ、俺を怒らせようとしたって無理だぜ。それが手始めで、後はお楽しみって奴だよ。順番に”送る”って手もあるんだ。蒸し殺されるなんてあんまり気持ちがいい事ではないだろうが?おめぇなんか嬲り殺しったって、どうってことなんかないんだよ。だからな、教えろって言ってんだよ」
 飯田はなにかテッポウに対してのネタらしきものを持っているような素振りだったが、オレの家に金属探知器を持ってガサ入れする事自体が高森の詐欺師にだまされている証拠としてしか見えなかった。早朝に調べ室が満員になったと云う事はオレ以外の人種はほとんどヤクザもんを引っ張っていると想像が出来た。そして、その目論見はもうハズレという答えが出ているのだ。つまり飯田には確証がないのだ。ヤマカン手入れが笑うぜっ、とオレは秘かにほくそ笑んだ。
「飯田さん、早くして下さいよ。今できないんだったら、明日から通いにして下さいな。それに、どうせ並びの部屋(調べ室)なんて全部ヤクザもんでしょう。オレと一緒にしないで下さいよ。弥生物産の役員なんてしょせん名義借りですからね、高森がどんな事アンタに吹き込んだか知りませんけどね。送検すればいい事じゃないですか」糞ッタレのおめぇなんかケッ!だよ。万一送検したところで”猶予処分”にしかできない事はわかっていた。次々と三下ヤッコを引っ張り恫喝を加え「犬」として消耗品のようにこき使うやり方で飯田の成績は成り立っているのだ。ここで芋引くと一生奴から離れられなくなってしまう。たとえ20日間”蒸され”ても犬になるよりマシなのは自明の事であった。奴があきらめるまでのらりくらり、と。
「あのな、南無よ。俺はなおめぇみたいなきれい事を並べる小狡い奴が一番嫌いなんだよ。泊まってって貰うぜ」と吐き捨てるように云って飯田は席を立った。腹を押さえて出ていったところを見ると本当に神経性下痢症状に見舞われているようだった。耳を澄ませてると隣の部屋で大声を上げてやり合っている村埜の声が聞こえてきた。やはり山川組の幹部が一斉に連行された模様だと思った。
 しばらくして家に迎えに来ていた年配のデカ長がやってきた。
「南無、もう帰っていいぞ。今回はお前の踏んだ通り、空振りだ。今から村埜に言ってくるから一緒に帰れ」
「係長が泊まれって言ったんですけど」
「ははは、大将は便所から出れないよ。なにしろ、80人動員してチャリンともしなかったんでな。大将は下痢しながら、頭抱え込んでるよ。南無よ、すまんかったな。奥さんにはもう伝えてあるよ、早く帰ってやれよ」デカ長は今回の事には批判的なようであった。時計は7時半を指していた。まもなく山川組の村埜が顔を真っ赤にしながら俺の調べ室に入って来た。
「いやぁ!南無さん。すまなかったな。こんな事に巻き込んで、謝るよ。下に迎えが来てるんでな家まで送るわ。本当に申し訳ない事したよ」村埜は俺に頭を下げた。デカ長が入って来てオレが持ってきた洗面道具を返した。
「なんだよ、南無さん泊まる準備してたんかよ。飯田の糞なんかほっとけばいいんだよっ!けっ!」
 正面玄関に寄せられたベンツにオレは村埜と乗り込んだ。
「内通者がいるらしいな?」オレは運転者に聞こえないように小声で村埜の耳に呟いた。
「ああ、もう誰かもわかっている。無関係のアンタにまで迷惑かけちまって、悪かったよ。この始末はきっちり付けるよ・・・」村埜の顔は怒りで炎のように燃え上がっていた。
 家に戻るとテーブルの上に冷たくなった食事の用意がしてあった。二階からは誰も下りては来なかった。

2004年11月7日日曜日

喰らう男

 汽車で上がり、野暮用が終わったオレは心斎橋筋の一角でいつも立ち寄る小料理屋のカウンターに座っていた。同郷の女将がオレに良くしてくれるからである。大きな水槽が正面壁面に置かれ、なじみのある魚たちが泳いでいて、客の注文に応じて捌いてくれる品のいい店であった。客層も良く、それなりに繁盛している店で奥にあるコアガリは既に満席のようであった。ここでじっくり飲み、あとはホテルで寝ればそれで満足のはずであった。
内ポケットで携帯電話が振るえた。村埜だった。
「南無さん!おめぇんとこのオヤジさんに聞いたよ。大阪来てんだって?」
「来てるっ、て、言ったって、明日そっちへ戻りますよ」
「いや、な、ワシもここに居てんや。どっちにいるんや?」
「ミナミに居ます」
「というと、あそこかぁ?」
元々この店は村埜に連れてこられたのが縁なのである。
「組用が終わったし、ワシもそっち行くわなぁ。むしゃくしゃしてるさかい、アンタと飲もうという訳や」オレの返事も何も聞かないうち電話が切れた。
 村埜の組本部はキタにあった。彼はその枝の組で若頭を務めていた。若衆が50人ほど居てオレの地元ではそれなりに強大であった。オレにとってはそれなりにお目こぼしもあった。助けられたことも数度ばかり有り村埜には義理もあった。気がいい奴ではあったが、跳ぶのも早かった。
しばらくして村埜は女将に挨拶をしながらオレの横に座った。
「栄田のジイサンとこ行ってたらしいな。元気にしてかい?」
「ええ、お元気でお過ごしのようでした」
栄田とはオヤジの昔の兄弟分であった。短期間の治療入院をして、その退院祝いに少しばかりの心付けと海のものを手みやげに「祝いの口上」を代理としてのべに行ってきたのだった。二人とも今は引退していて、温泉巡りとかを楽しみにつるむ、いわば刺青のはいった老人会のメンバーである。
「今回は長いのですか?」とオレは村埜の顔を見た。相当苛ついている顔であった。
「うーん、わからん。ワシも早う帰りたいんやけどな。阿保でうるさい奴ばかりいてな、なかなか前へ進みよらん」
何かもめ事があったらしく本部で話し合いが行われている、と云うことだろうとオレは思った。会議は踊る、となっているようだ。もっともオレにとってはそのようなことは何ら関係のない世界である。オレは村埜にビールをついだ。ゴクリと大きな音を立てながら一気にそれを飲み干し溜息をついた。どうやらオレは奴の愚痴を聞く夜となったようである。
「ワシもデリケートやさかいに、ホンマ、疲れる。ワシんとこのあほんだらが一人ヘタ打ちしよってな、ここに呼び出され、カシラ(若頭)としてワシがよってたかっていじめられてるって訳だ。ちゃんと謝ってんのにのぅ、腹立つわ」
エンコ(指)落として、つかない話しは責任者にもエンコ落としが行われることもあるようだが、村埜はそのタイプではなかった。反抗的な村埜の態度に古参連中の横やりが入り、若いモンの指は相手に受け取って貰えなかったらしい。内輪もめとはどの世界でもあるようではある。
「なんやら、きょうはビールもまずう感じるわ。あの連中の顔思い出したら気持ち悪うなってきた。ったく、イジメやないかっ。ワシの答えはもうその場で出したる、がな。連中!腰抜かしよった」村埜は本当に気分が悪くなってきたらしく顔も青ざめていた。
「村埜さん、だいじょうぶなんか?顔色が悪いぜ」オレも気になり声をかけた。その言葉も終わらない内に村埜は席を立ち上がった。
「おぅ、うーむっ!うぇーっ!もう、あかんっ!」とカウンターにそのまま反吐を噴水のように吹き上げた。女将もそれに気づき大慌てで仲居を呼び、彼女自身が駆け寄り村埜の肩に手をかけた。濡れたタオルで女将は村埜の額や口の周りを優しく拭いて、吐瀉物を仲居と共に拭き除こうとした。
「ちょっと!待ったれっ、ちょっとだけ待つんやっ!」と村埜は声を荒げて女将に言って彼女の身体を押しのけた。
「かんにんやで、あっち向いてんか、すぐ終わるさかいに」
村埜はカウンター一面にひろがった自分の吐瀉物の中に手を突っ込み汚物の中をまさぐり始めた。ちょっとだけや、と呟くように言って手を動かし、やがて反吐にまみれた一切れの人間の指を取り出した。村埜は薄笑いを浮かべながらその指を眺め、やがてそれは再び彼の口の中に消えた。
村埜は自分の若衆の指を受け取らない相手に対し突っ返されたその指を喰らい席を蹴ってきたのである。