2008年3月24日月曜日

ポンキー・ブルース

 私はその頃(*註)の夏の夜明けを忘れることはない。涼しげに漂ってくる早朝の潮が入り混じった空気の匂い。新しい日の始まりを告げるさまざまな鳥達。まだ港のクレーンは動いてなかった。私は2台あるトラックうち、いつも乗る一台に飛び乗り木刀を手にして東神奈川駅東口にある小さなロータリーに向かっていた。いくつかの建物の向こう側には京浜急行仲木戸駅があった。いく道すがら「今日は20人だけだ」と私達に指示が与えられた。夜も白々と明けてくる頃小さな広場には付近のドヤから歩いてきたアンコ達(*註)が並んでいた。一番緊張する一瞬でもあった。そしてはじまる。
「お前、お前ッ!そうだ、お前」と若頭の怒号に近い声が飛ぶ。その視線を追いながら次々とアンコ達をトラックに引っ張りあげていく。間違いは許されなかった。あとは外されたのに関わらず這い登ろうとする、はぐれたアンコに木刀をふりおろす。そのようにして朝の仕事は終わるのであった。
 ある日の午後、桜木町から野毛の居酒屋に向かっている途中、薄汚れた歩道で1升瓶を枕にしているアンコが寝ながら私のほうを見つめていた。すれちがいざま、その男が立ち上がり声がかかった。
「ニイサン、明日は頼むよ。なっ、」と彼は酒臭い息を吐きながら私の顔をじっと見つめた。そして手の中に千円札をねじ込んだ。額の上のほうに血の滲み出た瘡蓋があり、確かに今朝私が木刀をふりおろした男であることがわかった。一瞬私の心臓がドクリと音を立てたのが聞き取れたが、そのまま野毛の方に歩みを止めることなく足早に歩いた。私の後ろ背にはまだ声があった。「頼むな」と。
 翌朝いつものように東神奈川の駅に向かった。そして彼は前列に立っていて私の視線に奴が絡まっていることがいやと言うほど分かるのだった。私は若頭の指名に入ることを願ったがそれは叶わなかった。しかし差し出された彼の手に私の手が伸びるのをとめることができなかった。若頭がいぶかしげな視線を私の背に投げかけていることは分かっていた。だけど彼のみすぼらしさに私は負けたのである。それは決して千円札ではなく、もう彼の限界があることを知っていたからであった。今日ハグレたら路上で死ぬしかなく「おれを見つめてくれ」という最後の千円札であるのが分かっていたからである。
 そして私はそのあと若頭からこっぴどく木刀で叩きのめされた。
「あいつはな、ポンキー(*註)だから使わないんだよ。使おうが、使わないが、長くねぇんだよ。なのに、オメェはわかってるんかよ。勝手をするんじゃネェ」と。若頭の言うとおり、そのあと1週間もしないうちに彼は仲木戸の道端で死んでいた。

*註1 昭和44年:ウイキペデア
*註2 浮遊労務者
*註3 麻薬中毒者(ヒロポン・覚醒剤等)
はてなダイアリにおいて2006-09-28 にどてら(袢天)が似合う古き時代の自分を髣髴させる平民さんに捧げる為に書かれたものを転載しました。