2007年8月18日土曜日

遊侠の徒

 一昨日のことだった。送り盆も終わり一息入れているところにオヤジから電話が掛かった。「加賀の田中が死んだと聞いたが、そうなのか?」とその声は低く重かった。私は、またその話かと思ったが調べてから返事しますと答えて電話を切った。もともとその男が入院したという話は先月若い者から聞いていたので近い内に見舞に行こうとは思っていた。だが死んだという話はまだ聞いていなかった。現に1週間ほど前もある者から問い合わせが来て調べたばかりだったからだ。噂がすぐに大きくなるのもこの世界の通例といえるだろう。今回も結果的には死んではいなかった。その旨オヤジに告げるとお前が名代として明日にでも見舞に行けと言った。
 午前11時だというのに気温は36度を越えていて国立病院の大きな駐車場はそのアスファルトの照り返しによって私の首筋に大量の汗を流れ下らせた。前もって室番号を聞いていたのでそのまま真っ直ぐ八階の病室に向かった。エレベータを出てナース・ステーションの前を通り過ぎたところで聞き覚えのある声で呼び止められることになった。当時の舎弟頭補佐をしていた男であった。もう70は過ぎたはずで角刈りだった頭も禿げあがり髪も真っ白になっていた。そして当時精悍さを誇っていたその顔も面影はなかった。簡単な挨拶と名代であることを告げると彼は深くお辞儀で返し、そのまま簡易な椅子が並んでいる隅にあるコーナーに私を誘った。隅にある自販機から緑茶を私に差し出すと言った。
「儂等三人(舎弟)が24時間交替で付き添っていて各自家には着替える為だけ帰っています。肝臓癌です。医者の話だともう今月いっぱいももたないと言ってます」
 私の返す言葉なんか無かった。そのヒトは独り身であった。随分昔のことではあったが娘がまだ小さかった頃妻子と別れてしまっていたからだ。そして今まさにひとりで死に向かおうとしていた。
「喋れるのですか?」と私は聞いた。
「まだ大丈夫です。時々時間の感覚が跳びますが、南無さんが来たということになれば大変喜ぶでしょう。結核も併発してますのでマスクをして下さい」そういって私にマスクを手渡したがたいした役にも立ちそうもなかったので装着しなかった。そのまま個室である病室に案内され入った。やはり顔見知りの舎弟がひとりベッドの脇の椅子に座っていたが私が入室すると立って軽く会釈を交わした。ベッドによこたわっているそのヒトは頬が落ち痩せさらばえ骨と皮になっていた。入れ墨のはいった腕には点滴針が刺さっていた。仰向けになって閉じられた瞼の上にある入れ墨の眉は昔のままだった。付き添いが私が来たことを告げると静かに目を開け、屈むようにして上から覗き込んでいる私の顔をじっと見つめた。
「オヤジの代理で来ました。私が判かりますか?」と聞くと黙って頷き私の顔をまじまじと見つめていた。
「アニキは元気なのか?」とまだ力の残る声で私にオヤジの近況を問うた。
「はい。歩くことは少しおぼつかないですがまだ元気です」と答えるとまた黙って頷き、聞き取りにくい声でなにか言った。もう一度耳を近づけると再びそのヒトは喋った。
「お前、老けちまったな」と。私は場違いのようなその言葉に一瞬戸惑ったが気を取り直し笑いながら答えた。
「もうすぐ60になりますよ」
「そうか、もうお前も60になったか。ろくでなしの60か…」と笑った顔を見せた。どうやら私の若い頃の顔を記憶の隅から呼び起こしているようだった。数え切れないほどそのヒトに迷惑を掛けた若い時代のことが私の頭の中を一瞬よぎった。そして突然「娘が来てくれた」とぼそっとそのヒトは言った。付き添いの者に目を向けるとその者は黙って私に頷き返した。きっと誰かが娘を探し出し頭を下げ説得して連れてきたのだろうと推することが出来た。
「娘さんに会えてよかったですねぇ」と私が言うと黙って頷いた。そのヒトの目に涙があった。そして、あとは何も語ろうとしなかった。
 帰る車中の窓の外を眺めると遠く見える市街地のビル群の上にかげろうが揺らめいていた。そしてそれが私の居る灼熱地獄の風景なのだろうと思った。