2004年11月15日月曜日

背負う闇

 朝の六時過ぎでは窓から見える通りもまだ車が少なかった。まさしくひさしぶりであった。三階の取調室で容疑がわからずオレの頭はしきりに回転していた。
「南無、ひさしぶりだの」飯田は相変わらずの不遜な物言いでオレの前に立っていた。
「と、言われてもですね、もう七年です。さっさとやって下さいな」オレの言うことなど聞く耳もなく黙って飯田は部屋から出て行った。

 犬が激しく吠える声でオレは目覚めた。小さな庭に面している寝室の長戸の向こうに人の気配がした。障子を開けると人相の悪そうな男達が立っていた。長戸を明けさせられ犬走りに靴を脱ぎながら男達は入ってきた。
「南無だな、県警だよ。悪いが着替えてくれないか?」責任者らしい男がオレに言った。
「任意ですかね?」
「どちらでもいいよ。あっ、それからこれがガサ状だ」商業登記法違反云々という文字が一瞬だけ垣間見れた。
「洗面道具持って行ったほうがいいですかね?」オレは泊まりになるか聞いてみた。
「あぁ、そうしろ」相手はぶっきらぼうに応えた。
 オレは布団をたたみ、押入に入れ、洗面所へ向かった。歯を磨き顔を洗いながら、思い当たる節を考えてみた。でもそんなにたいした事は無かった。
やがて、二階から妻が高二の長女と不安そうな表情を見せて階下へ降りてきた。
「どうしたの?」と妻はオレに聞いた。
「判らぬ。ちょっと行ってくるよ」
 中に入った連中の一人によって玄関の鍵が開けられると外に更に数人が立っていて、一斉に家になだれ込んだ。
「あっ、奥さんですね。県警の森田と云います。今から令状に基づいて捜索をさせていただきます。立ち会って下さい」
「・・・・」妻は黙って彼と一緒に居間の方へ行きなにか説明を受けているようだった。
「さぁ、行こうか」と年配の刑事がオレの手を取った。オレは長女の顔に視線を一瞬投げかけた。怒りと蔑みの目でオレをじっと見て唇を噛みしめていた。前の時は小学生だった。今はもう意味は分かる。玄関で靴を履き、オレは長女に振り返りざま言った。
「お母さんを頼む」
 返事はなく目から涙があふれていた。

 しばらくすると何人かが別の取調室に入れられていく音が耳に入ってきた。午前中、オレへの取り調べは何も行われなく、拘束の宣言もなく部屋で放置のままであった。時々若い刑事が入れ替わり立ち替わりやって来てオレの顔を見るとニヤリとしてドアを閉めて行った。先程の年配の刑事がやってきて出前の親子どんぶりを部屋の机の上に置いていった。
「なんなんですかね?」とオレはその刑事に聞いてみた。
「たいしたことではないのだよ。そこで飯でも食ってろ、気にするな」
 当時、妻は二カ所でパートをやり、オレは友人の小売り販売の手伝いをしながら生計をやっと立てていた。時々は昔の連中から呼び出され片手間仕事もしたが、法に触れることは一切やっていなかった。嫌な奴からの依頼仕事はキッパリと断ってもいて逆に恨まれたこともあったが貧乏ながら平和な暮らしだった。
 夕方の五時半頃、暴力犯(マル暴)の飯田が取調室に戻ってきた。中学時代からの一級先輩でねちっこく蛇みたいな野郎だった。
「南無よ、ちょっと協力してくれねぇかな。どうも、うまくいかねぇ。腹までくだってきて、神経やられたぜ」腹をしきりにさすりながら陰険な顔つきでオレを見た。
「協力も、何も、容疑がなにかも聞かされておりません。商業登記法違反のガサ状だけしか見てません。ですから、見当もつきませんよ」
「ふふふ、そんなことはどうでもいいんだよ。なぁ、南無よ、こそこそいろんな事やってるらしいじゃねぇか。ええっ?今後も見ぬふりしてやるから、ちょぴっと歌えや、なっ?」
「係長さん、あなた、暴力犯でしょう。私なんか、関係あるんですかね?あなたから言われるようなことなんか何もやってませんよ」
 とどのつまり、飯田の話はこうだった。高級車を乗り回し毎晩のように夜の桜木町を徘徊しているくらい南無は金回りがいい、と。オレには錆びつき、トランクに穴の空いたポンコツ車しかなかったのだ。どこでそのような話を吹き込まれているのかは想像ができた。高森の仕事依頼を断ったからだ。ひとでなし犯罪の加担はオレに曲がりなりにもある「ルール」から外れることになる。そういう連中はオレを平気で裏切る、そしてサツにこのように売り飛ばすのだ。いざとなったら、オレの家の郵便箱に馬鹿チャカでもガンコロでも入れてサツに通報する最低の愚連隊共なのだ。飯田は奴等から情報と金で貢がれていることはオレも知っていた。温泉、ゴルフ接待、海外旅行なんか序の口であった。どこにでもいる腐ったお役人の一人だった。
「これだけ被害調書がある。全部で四件だ。どうするんだよ、南無。ベントウとれたからって言ってもなぁ、また入れられていいんかよっ、なぁ、・・・、二人の娘がまた泣くぞ。ふふふ・・・」飯田は被害調書の束を手に取り頭上でひらひらさせた。
 どうせ公判請求まで保っていけない容疑に決まっている。被害者なんか全部犯罪者か詐欺師共だ。相変わらず品性の無い先輩だぜ、とオレは黙っていた。
「てっとりばやく言うがな、32丁だよ。えっ、なんか聞いてるんだろう?」
 テッポウなんて意外だった。そんな事柄でオレを引っ張ったのか、と思うと愕然とした。ヤクザでもないオレがそんなことに関わるわけもないことだからだ。
「いわれた意味が分かりません。チャカなんかオレとどう関係あるんですか?まったく聞いたことも見たこともありませんよ。もし飯田さんが本気で言ってるんなら、アンタの頭はイカレだよ。煮るなり焼くなり、どうでもしてくれよ」オレは足を出したのである。この糞ったれの悪徳警官めがっ!おめぇこそ檻の中に入ってろっ!と。
「けっ!あほんだらっ!いっちょ前に開き直るんじゃねぇよ!俺はおめの損得考えて言ってやってんだぜ」飯田の頬は引きつっていた。
「言いたい事がわからないから言ってるんですよ。アンタのやってる事はデタラメじゃないですか。私がどうしてガサなんか食うんですか?その32丁が出てくるとでも本気で思ってるんですか?私こそアホらしくてアンタについて行けませんよ」
 飯田は座りなおして調書を広げた。
「まぁ、聞けよ。これによるとだな、昔おめえが持っていた株式会社弥生物産を山川の外道に売ってるな。聞いたところ株主総会も取締役会も”正規”に開かれずに株式の譲渡を行っている。こりゃぁ、公正証書原本不実記載って言ってな立派な違法行為だぜ。な、他の役員からの被害届が俺の方に来てな、おめぇに出向いて貰ったわけだよ。なっ、わかるだろう」
 取締役の内、カタギはオレしかいない幽霊会社の事だった。それをオレは山川組の若頭村埜にうまいこと言って実費プラスアルファで売り飛ばしたのであった。時は「暴力団新法」成立直前の頃であった。インチキ会社だろうが真性会社だろうが法は平等なのである。つまるところ、こんな事は日本中、日常茶飯事で行われている事に過ぎない。これで起訴をしたら全国数十万人経営者を起訴しなければならないからだ。父ちゃん母ちゃんで出来てる同族会社の取締役会なんか開かれるはずも無い。飯田は愚かなことだが自分の飼い犬である高森の口車にのり、ひたすらチャカを狙って一斉取り締まりを各所轄を動員して行ったのである。もっとも飼い犬は飯田の方であった。
「ああ、それだったらアンタが今すぐ調書に書いて下さいな。速攻で加害者としてハンコだろうが指印だろうが押しまっさ。さっさと送検すればよろしいがな。被害者が元ヤクザと現役ヤクザで加害者がカタギってきっと笑い話になるぜ」
「おめぇ、俺を怒らせようとしたって無理だぜ。それが手始めで、後はお楽しみって奴だよ。順番に”送る”って手もあるんだ。蒸し殺されるなんてあんまり気持ちがいい事ではないだろうが?おめぇなんか嬲り殺しったって、どうってことなんかないんだよ。だからな、教えろって言ってんだよ」
 飯田はなにかテッポウに対してのネタらしきものを持っているような素振りだったが、オレの家に金属探知器を持ってガサ入れする事自体が高森の詐欺師にだまされている証拠としてしか見えなかった。早朝に調べ室が満員になったと云う事はオレ以外の人種はほとんどヤクザもんを引っ張っていると想像が出来た。そして、その目論見はもうハズレという答えが出ているのだ。つまり飯田には確証がないのだ。ヤマカン手入れが笑うぜっ、とオレは秘かにほくそ笑んだ。
「飯田さん、早くして下さいよ。今できないんだったら、明日から通いにして下さいな。それに、どうせ並びの部屋(調べ室)なんて全部ヤクザもんでしょう。オレと一緒にしないで下さいよ。弥生物産の役員なんてしょせん名義借りですからね、高森がどんな事アンタに吹き込んだか知りませんけどね。送検すればいい事じゃないですか」糞ッタレのおめぇなんかケッ!だよ。万一送検したところで”猶予処分”にしかできない事はわかっていた。次々と三下ヤッコを引っ張り恫喝を加え「犬」として消耗品のようにこき使うやり方で飯田の成績は成り立っているのだ。ここで芋引くと一生奴から離れられなくなってしまう。たとえ20日間”蒸され”ても犬になるよりマシなのは自明の事であった。奴があきらめるまでのらりくらり、と。
「あのな、南無よ。俺はなおめぇみたいなきれい事を並べる小狡い奴が一番嫌いなんだよ。泊まってって貰うぜ」と吐き捨てるように云って飯田は席を立った。腹を押さえて出ていったところを見ると本当に神経性下痢症状に見舞われているようだった。耳を澄ませてると隣の部屋で大声を上げてやり合っている村埜の声が聞こえてきた。やはり山川組の幹部が一斉に連行された模様だと思った。
 しばらくして家に迎えに来ていた年配のデカ長がやってきた。
「南無、もう帰っていいぞ。今回はお前の踏んだ通り、空振りだ。今から村埜に言ってくるから一緒に帰れ」
「係長が泊まれって言ったんですけど」
「ははは、大将は便所から出れないよ。なにしろ、80人動員してチャリンともしなかったんでな。大将は下痢しながら、頭抱え込んでるよ。南無よ、すまんかったな。奥さんにはもう伝えてあるよ、早く帰ってやれよ」デカ長は今回の事には批判的なようであった。時計は7時半を指していた。まもなく山川組の村埜が顔を真っ赤にしながら俺の調べ室に入って来た。
「いやぁ!南無さん。すまなかったな。こんな事に巻き込んで、謝るよ。下に迎えが来てるんでな家まで送るわ。本当に申し訳ない事したよ」村埜は俺に頭を下げた。デカ長が入って来てオレが持ってきた洗面道具を返した。
「なんだよ、南無さん泊まる準備してたんかよ。飯田の糞なんかほっとけばいいんだよっ!けっ!」
 正面玄関に寄せられたベンツにオレは村埜と乗り込んだ。
「内通者がいるらしいな?」オレは運転者に聞こえないように小声で村埜の耳に呟いた。
「ああ、もう誰かもわかっている。無関係のアンタにまで迷惑かけちまって、悪かったよ。この始末はきっちり付けるよ・・・」村埜の顔は怒りで炎のように燃え上がっていた。
 家に戻るとテーブルの上に冷たくなった食事の用意がしてあった。二階からは誰も下りては来なかった。