2004年11月6日土曜日

鳳凰

 早朝オヤジから電話が入った。
「今から出れるか?和泉が死んだ。おめぇが確認してこい」
かすれて低く沈んだ声が受話器から聞こえた。時間を見ると5時10分だった。
 夜が白々と明けてきていた。オレは既に起きていたので急いで熱いシャワーを浴びてスーツに着替えた。コーヒー・カップを空にしてから車を走らせ向かった。少し飛ばしたせいか30分程で霊園に着いてしまった。私服、制服、数人と医師らしきものが一人、大きな桜の木の下で作業をしていた。それ以外この時間に霊園に来る者は居ない。
 顔見知りの刑事が車を降りたオレに向かってゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「ハタさん、ご苦労様です」
オレはこの元マル暴上がりの刑事に挨拶をした。宿直担当なのだ。
「南無よ、確認だけしてくれ」とオレを桜の木の下まで案内した。
妙に顔が歪んでいて別人のように見えたが、和泉に間違いはなかった。首のロープはもう外されていてその跡だけが内出血で赤くなっていた。二日前に話しをしたのが最後であった。オレはまわりをぐるりと見渡してみた。無数の墓石群が奥の方に見えた。反対側を見下ろすと鉛色の日本海がすぐ近くにまで拡がっていた。吊れるような木は霊園入り口にあるこの木だけしかなかった。
「原因について思い当たることがあるか?」と横畑はオレの顔を覗き込むように聞いた。あいかわらず嫌な顔だ。
「いや、突然で驚いています」
オレは白と言ったがオレがハジイタのか、という想念にしがみつかれた。
しばらくすると横畑はオレに顔を貸せといって警察車両の中に引きずり込んだ。
「もう一度聞く、原因は何だ?」
顔は完全に不機嫌さを見せていた。
「私には思い当たる節はありません。それにそんなに深くつき合ってたわけでもないですからね。特に私生活と仕事とは別ですから。仕事上のことはある程度知ってますが、その中では原因はありません」とオレは冷静に答えたつもりで言い放った。
「そうか、わしらもクズの自殺に面倒な”ウラ”なんかとりたくないからな、まったく迷惑な野郎だぜ。ところで、知恵はあるか?」
今度はニヤニヤしながらオレに話しを振った。横畑は面倒なことが嫌いだった。オレもそう願いたい。
「和泉は糖尿病持ちで血圧も高く、相当調子が悪く悩んでいたようです。栗田先生のところへ月に2回通院していましたからね。先生にウラをとれば分かることです。」と答えを出した。
「そうかっ、おめぇはさすがだな。病気を苦に自殺、だな。ふふふ」
調書がもう仕上がっているようであった。しばらくオレの顔を見ながら何か考えているらしく俺の目を離すことはしなかった。そして、おもむろにポケットに手を突っ込むと白い紙片をオレに渡した。
「こんなものがあると面倒なのでな、おめぇにやるよ。ついでにいっておくがなぁ、今、柴田はウチの玉になってるよ。余罪が多くてな。保護しているようなもんだけどな。懲役のほうが安全だってな。まっ、おめぇんとこには関係ないか」と言って顎をしゃくっって見せた。くずが屑に殺されたと、今更言われなくても判っていた。オレはその足でオヤジの自宅へ向かった。紙片は読まなかった。

 二日前オヤジが和泉と話しをしてこいと言った。和泉がやってる博打銭専門の金融にどうやら穴が空いたようであった。パチンコ、麻雀、競輪、競馬、カルタまで何でも有りの堅気向けの貸し付けをやっていた。
 和泉は帳面をオレに見せ一通りの説明をしたあと、オレに土下座をした。U首のシャツから胸割りの霊鳥が見えていた。
「和泉さん、相手が違うだろう。オヤジに謝るべきだろう。勘違いするな。オレはアンタを責めないよ」
 オレは和泉の体を上げさせようとしたが後ずさりして頭を上げようとしなかった。
「南無よ、オレは嵌められたんだよ。この、シャク(借用書)の半分が柴田の仕組んだ人間達だった。そんなもん見抜けなく、なまくら起こした俺のせいなんだよ。全部俺のミスなんだよ」と顔を真っ赤にして俺に訴えるのだった。
 柴田はもう既に詐欺で横畑に捕まっていた。常習だから懲役に行くだろう。住民票や印鑑証明の”飛ばし”専門のケチクサイ詐欺師だった。確かに和泉のミスに違いなかった。オレの腹は決まっていた。印証があればその数だけ、債務者本人と違ってもオレは全額上げる気でいた。多少は揉めるだろうがそのためにオヤジはオレに任せたのだろう。しかし、オレにはまだ聞くことがあった。
「和泉さん、柴田から何を貰ったんだ?バックか(謝礼)?酒か?それとも女って云うんじゃネェだろうな?」
若い女が居ることは薄々オレも知っていた。和泉はもう60を過ぎたはずだから”孫”のようなもんだ。あとで判ったが17歳のイカレポンチであった。
「女を紹介された。スマン」和泉はうなだれた。
「そうか、オヤジより女の目方が重かったのか・・・。オレはオヤジを説得するから心配するな。とにかく、女は帰せ」
 オレは決がでるまで”謹慎”するように言ってその場を去った。
 表に出ると道路の向かい側にその女が立っていた。どうやらオレを待っているようだった。
確かに化粧をしているが顔はガキだった。
「あの人どうかしたの?泣いてばかりいるよ」とオレを問いつめるかのような言いぐさだった。
「和泉はおめぇのなになんだ?」
「あはは、男に決まってるじゃ!」
「和泉は謹慎になった。明日まで待ってやる、家へ帰れ」
「アンタに云われる筋合いじゃないよっ!私はね、和泉の女なんだからね。アンタこそ、もう、ここへ来るなっ!」
「そうかい、そうかい、一人前のオメコをしてるってわけだな。明日居たらオレの女になるんだな」
オレはこれからのことを考えると憂鬱になってしまっていた。

 オヤジは待っていた。
「間違いなく和泉でした」とオレは一言だけ言ってその後黙ってオヤジの言葉を待った。
オヤジの顔からは何も読み取ることは出来なかったが、その場はこの世のものとは思えないほど静謐さに包まれていた。オレはその雰囲気にたまらなくなり、スーツのポケットから横畑に貰った紙片を取り出し二つ折りにしてテーブルの上に差し出した。
「なにか?」オヤジはその紙片を取り上げてオレの顔を見た。
「まだ見ていません」と答えた。
オヤジはその中身を読み始めたようだった。何度も何度も頷いていた。顔は笑っていたが涙が頬に落ちてくるのが見えた。オレは顔を見ないように庭を眺めていた。
紙べらは鉛筆書きであった。漢字が使えなく、無教養でへたな字そのものでこう書いてあった。

  おやじさんゆるしてください。さきにてんごくでまってます。

 そしてオヤジはオレに言った。
「オレ達の行くところは天国じゃねぇよ、なぁ、南無。アイツは最後までトンチキな奴だったなぁ」と。

 葬儀は極楽に行くため和泉の宗門である浄土宗で行われ、オレ達が仕切り息子夫婦が喪主となった。親戚中のハナツマミモンだったので、あとはほとんどオレ達で占められた。寺の前で若い女が焼香をさせろと暴れていてオヤジのテカに止められていた。顔を見るとイカレポンチだった。和泉は最後にあたって、女を追い出すため殴ったらしく、目のまわりはパンダのようになって腫れていた。喪服ではなかったが焼香順最後で許してやった。その後どうしているのか知らない。
1ヶ月後息子から電話が入り、生命保険が下りたので迷惑かけているお金を払います、と言ったがオレの集金は既に終わっていた。
いらない、とオレは返事をした。
享年 61歳