2006年1月1日日曜日

マドラー

 久しぶりにオヤジから夕飯の誘いの電話があった。
「タモンに七時頃まで来い」
 そういえば二ヶ月以上も顔を見せていなかった。名古屋での仕事がトラブル続きになり最終的な弁護士との交渉事に振り回されていたからである。また向こうとの往復出張も重なっていていささか気分も滅入っていた。
 オレはそこそこに書類仕事を片づけて車に乗り込み夕刻のラッシュを抜けハイウェイを飛ばした。左手に夕日を浴びた穏やかな日本海が紅に染まった鏡のように広がっていた。いつもであればもうすぐ迎えるであろう大陸の風で荒れ模様を見せる海であるが珍しく小春日和となっていた。長く北陸に住むようになると時々見せるこのような風景に心が和む。しかし天はヤヌスの如く明日には牙を剥き出し違った顔を見せつけることもある。

 二ヶ月前、オレは名古屋のダチの情報により第二名神高速道路の工事が進むなか、桑名にある廃棄物処理工場移転の利権絡みに介入していた。用地買収金がたんまり入る地元廃棄物処理会社の利権を裏稼業として見過ごすことが出来ないからだった。また工場移転候補地の確保はオレのサイドで既に出来上がっており廃棄物処理会社との交渉も思いのほか順調に進んでいた。しかしここ大詰めというところで、四日市に本拠地を置いている組織が突然代理人という触れこみで利権介入してきたのであった。
 オレが常宿にしていた名古屋中区の錦通りに面しているホテルのロビーへいかにも厳つい軍団として数台の車でやって来た彼等はロビーに溜まり、その内の数人が一階にあるカフェで待っているオレの席にやってきた。篠塚と名乗った先方の幹部格の男の言葉は丁重であったが中身はとてもオレがのめる条件ではなかった。つまり「手を引け」と言うことに他ならなかった。こちらはオレを含めて三人であったが下がるわけにはいかなかった。なんと言っても玉(利権金額)は大きかった。特に今回オレのボディガードも兼ねていた亜根羽はそれなりの組の幹部としてのメンツも絡み、話し合いの場としては決して引っ込むこともなく相手方と目で火花を散らしていた。こういう物事の交渉ごとというものはどの程度まで互いに突っ張るのかと言うことでしかなかったがお互いに最終的なそれには触れないようにしていた。いったん結論は次回と言うことでその場を納めたが、納まりつかなかったのはオレ達であった。ヤツらは仕掛けたオレ達に正面切って横車を押してきたのである。地の利で形勢不利というものの一円も取れないという事になれば看板を下ろすしかなかったからだ。部屋に戻ってからのオレ達の気持ちも憤懣やるかたない気持ちであった。亜根羽は特に黙りこくったまま何か考えているようであったが敢えてオレはそれを無視した。割の合わないことだけは決してしてはいけないことであるからだ。
「南無さん、どう切り回すつもりなんでぇ?」と亜根羽は怒りに満ちた顔をオレに見せながら聞いた。
「このまま一文無しになるわけにはいかねぇ。といってもこのままの持久戦では地の利の薄いオレ達が不利に決まっている。おめぇになんかいい考えでもあるってのか?」
 オレはヤクザの常套句を聞くつもりはなかった。メンツに傾けば銭を失うだけでは済まないことも明白であるからだ。
「考えるためにあんたがいるんだろうがっ!おれっちにそんなもんなんかあるかよっ!だがな、このまま引き下がるわけにはいかねぇ。あんたさえ決めてくれたらナンボでも突っ張ったるわい」と亜根羽はオレに答えた。

 盛り場のほぼ真ん中に位置する「タモン」はいわば市内一番の高級ステーキ・ハウスである。オレはそのまま車を店の正面に止め店内にに入ると受付で車のキーを預けた。慇懃な素振りで支配人がオレを出迎え丁重に頭を低く下げオヤジの席へとオレを案内した。
「永らく失礼をしていました」とオレはオヤジに頭を下げると支配人が後ろに引いた椅子に腰をかけた。テーブルの上にある83年のシャトーマルゴーをオレのワイングラスに注ぐと静かに向こうへ去っていった。
「おう、名古屋での一件は聞いてるよ。スクラップ屋というものは所詮ウダウダ言うに決まっているもんだ。ま、はじき飛ばされないようにな」とニヤリと笑ってオレの顔を見た。
 もうすでにトラブル情報は耳に入っているというわけだ。
「はぁ、どうも予想外の展開になってきましてね。二つにひとつという塩梅になってきました」もうオレにとっても行くか泣くかでも済まなくなってきていた。
「南無よ、値打ちはどれくらいあるんだ?」
「一丁以上(一億)はいくでしょうね」
「では結論が出てるようなもんじゃねぇか」
「はぁ?」
「出方によっちゃ、二丁にもなりうるじゃねぇか。頭は使うだけでは足りないんだよ。駒が動かせるかどうかでしかねぇ。いつまでも半端なことするんじゃねぇ。大阪の内川には話をつけたる」
 今は大阪にいる内川はオヤジの昔の実子分であり亜根羽の大親分格に当たる人間であった。いかのオレでもそのクラスにまで口先を入れるわけにはいかなかった。また内川まで巻き込むとなると事が大きくなり過ぎて収拾がつかなくなることも考えられた。しかしここに至ってはオレは黙っているしかなかった。オヤジはそんなオレを無視するかのように勝手に話を進めていくつもりのようであった。そのままオヤジは電話でオレと一緒に戻ってきた亜根羽を呼び出し、次の店でオレ達三人が落ち合った。

 そしてオレは三日後再び亜根羽の他に20人ぐらい連れて四日市に向かった。そして大阪の内川からも応援部隊として30人ぐらいが一足先に四日市諏訪栄町のホテルに入り込んでいた。
 四日市の篠塚の思うような展開にならなかったことはその結末が示していた。亜根羽は、双方が話し合いのために落ち合ったホテルの最上階ラウンジでいきなり篠塚の手首を押さえつけ出刃を振り下ろし左指5本を第二関節から切り落としたのであった。あっという間の出来事でありこのオレでさえ予想だにしていない出来事であった。
「篠塚さん、この返しはオレの小指でええやろ」亜根羽はそう言い終わると自分の左指の第一関節にたった今使った出刃を打ち下ろし指先を切り離した。
「これで互いの目方が合うじゃろうが」
 亜根羽はそう言ってウエイターにスコッチの水割りを用意させ自分の切り落とした指をそこに入れゆっくりとグラスの中を回し始めた。

-了-