2005年3月12日土曜日

老犬

 当時オレは福井で破門になった野郎と駅前を根城にして五人で徒党を組んでいた。恐喝や詐欺行為を働くクズ集団である。日本人はオレと松本を出所したばかりの詐欺師のオッサンで、あとの三人は朝鮮人の食いっぱぐれた愚連隊である。駅前は中心街から少し離れていて金筋モンの目からも逃れることが出来、仁義も屁ったくれも無い我々にとっては、それなりの天国だった。つまり、やりたい放題である。しかし調子に乗りすぎて領域を越えてしまい、とんでもない金を結果的に沈めてしまった。そしてその金のことはオレとオッサンは話から外されていてまったく知らなかった。朝鮮人が民族の団結とばかりにオレ達日本人を外して仕事をかけたのだった。常に即物的にしか生きてない中でも手を出していけない領域はあったのである。
 まず奴ら三人の連絡がパタリととれなくなり消えてしまった。いつもの喫茶店にはオレとオッサンしかいなく、二人とも様子がおかしいことに気づいていた。それなりの嗅覚というものは悪党には自然に備わっていくものなのである。取り敢えず喫茶店を外し、ホテルのロビーへと場所を変えて情報収集をすることにした。結果は最悪であった。追っ手がかかるのは時間の問題だったのだ。懲役の回数と同じ八度目の結婚をしたばかりのオッサンは真っ青な顔をオレに見せた。
「南無さん、相手が悪すぎるよ。オレは伝手(ツテ)を頼って女と青森にでも蒸ける。アンタもどうだ?」とオレを誘った。
「どうするって言ったって、オレにはどこも行くとこなんかねぇよ。だってそうだろうが、オレ達の知らない事じゃないか」
 オレは不満であった。関係ないじゃねぇか、と。オッサンはそそくさとオレの前から去っていった。オッサンは伊達で太郎(懲役)をやっていたわけでないことはその後直ぐオレに分かった。
 次の日の夕方、行きつけの赤割屋で飲んでいると、競輪帰りの隣の常連がオレの顔を見て、あごで入り口を指した。入り口に数人立っていた。そして一人がやってきた。
「南無さんだな?来てくれるか」と言った。
「いやだ、それにおめぇなんか知らん!」とオレは立ち上がった。カウンターしかない店で人ひとりがやっと通れる隙間が壁板との間にしかないバタ小屋である。当時百キロを越えていた身体でオレは腕力には自信があった。どうせやられるんだ、順番に来いっ!ひとりを蹴り倒し足の下にし、そのまま椅子を振り上げて入り口に向けた。しかしそれまでであった。三人が一挙にカウンターに飛び上がり、なだれをうってオレに襲いかかった。正面から来た野郎にしたたかうちのめされ、おれの身体は崩れた。あとは倒れたオレの足を掴み表までずるずると引きずられて行った。

 そして、オヤジに出会った。
「失業中らしいな?ま、もっともおめえのようなクズはもう雇ってくれるものはこの街にはおらんだろうがな」とオレに問うた。
「金も財産もオレには無いっ!何を言われてもどうにもならないんだよっ!」といわば反抗的な態度でオレは答えた。
「どうやらいきさつにはおめぇが関わっていないことが分かっている。しかし、いまとなれば、唯一逃げなかったおめえに責任をとって貰うしかないのだよ。言い訳は通用しねぇ。だと言って、おめぇを煮て喰おう、焼いて喰おうというわけじゃねぇ。手を煩わせるな」
 顔は笑っていたが、オレは初めて死の恐怖を覚えた。そしてそのことがオレに敗北感も教えた。もっともいまだ嘗て何にに勝ったということもないのだが。
「で、どうしろというんだ?」
 恥ずかしいが声は震えていた。
「おめぇの仲間が嵌めた後始末をして貰いたい。調べたところ大きな会社にもいたことがあり、おめぇにはその能力があるようだ。今日は帰っていい。しばらく考えてからここへ来い。ついでに毎月生活出来る程度の金の面倒は見るつもりだから、事務員におめぇの預金口座番号を伝えておけ」
 それで終わった。そしてオレは狂犬のまま縛られたのであった。

 病院の廊下でオレはオヤジの腎臓透析が終わるのを待っている。今のところ週一回であるが、やがて回数は増えてくるだろう。オヤジの娘が忙しい時はオレが病院に連れて行くのだ。それ以外誰の言うことも聞かない。オヤジも76歳となりオレの手がないと階段を上がることが出来ない状態になった。
 そしてこのオレも年老いてしまった。今は二人で共に静かに死の影を見つめている。