2005年3月11日金曜日

夕暮れ

「参るよなぁ。本当に困ったよ。私の脳味噌ではなぁ。頼むよ南無さん」と石田はオレに泣きを入れてきた。石田は市内の中心地で和装の老舗をやっている。歳は40代半ばであった。女も三人居てそれぞれに盛り場で小綺麗な店を持たせていた。いわゆる旦那さんである。しかし商人らしく性格に狡さを持っていた。オレはその貧相な部分が嫌であった。こういう人間は隠し事が多く最後にタイ(体)を引くのでオレは彼の話にのりたくなかったのだが。
 話の趣旨はこうだった。高校時代からの友人に金を貸した。最初は二、三拾万程度であったが2年もしたら300万円になってしまい、金額的にかさんでしまったのでとりにくい状況になった。債務者は農家の長男で会社員の月給取り、家、田畑もそれなりにある。結婚はしていなく、もっぱらの金の使い道はフィリッピン・パブの女である、と。
 とりあえず彼の事務所へ行くことにした。今までの人間関係を考えると電話だけで断るのも気が引けたからである。まずはビジネス・ライクに切り出すやり方で話の内容を聞くことにした。
「取り分は?」とオレは聞いてみた。言いたいことは判っている・・・。
「どうだろう?サンブナナブ(三分七分)で。上げれますか?きちっとした借用書もあります」案の定、値踏みは安かった。ケチな駆け引きはしたくなかった。断るためにオレは五分五分と言った。
「え~っ!ヤクザみたいだなぁ。南無さんは堅気なんだからふっかけないでよ」とわざと大袈裟な驚きの声を上げた。しかし石田の目は定まっていなかった。何か隠している目だった。
「オレはどっちでもいいよ。別に今困っているわけではないからな。呼んだのはアンタだ」と突っぱねた。
「わかりました。言う通りにしましょう。取り敢えず今50万あるから着手金です。納めて下さい。方法は一切任せます。ただし私に迷惑はかけないで下さいね」最初から用意してあったらしく金は白い封筒に入っていた。そして借用書も目の前に置いた。出来過ぎであるとオレは思ったが言葉の文もある。引き受けるしかなかった。
「承知した。受けるよ。ついては仕事がやりやすいように相手の債務者とオレのレールは二、三日以内にそれなりに引いておいて下さい」こういう風に話は進むことになった。

 数日後債務者と会うことになった。その男は典型的なオボッコイ百姓にしか見えなかった。友人に迷惑はかけれないでしょう、と言ったら素直に応じた。何故あの狸はオレにこの男の事を任せたのか疑問は残ったが気にはとめないようにした。オレの知った金融屋にとりあえず債権を振ることもこの男は了解した。これでオレの分野は終わった。金融屋は自宅に1000万の根抵当権を組んだ。金利後払いで400万の貸し付けだった。男は石田に300万を返してくれと言ってオレに渡した。自分で返せ、と言ったが聞き入れなかった。石田がオレを使ったことでやはり多少の気分を害しているのだろうと仕方なく、その足でオレは石田に金を渡しに行くことになった。そして報酬の残金を受け取った。あとは金融屋と債務者だけの問題でオレは抜けれるはずでもあった。だが、オレの本能はブレーキをかけた。石田のところを出る際オレの疑問をぶつけてみた。
「なぜアイツは自分でアンタに金を返しに来なかったんだ?」と。
「いや、別段考えることもないだろう。無事終わったことだし、感謝するよ」石田の声は心なしか震えているように思え、目に落ち着きがなかった。
「オレに教えておくことはないのか?」ともう一度オレは石田に言った。石田はどぎまぎとした態度を見せ、立って社長室をぐるぐる回り始めた。オレは応接セットの椅子に座り直し石田に応えるように言った。
「いやね、南無さん私はね、ご覧の通りの人間で気が小さいんだ。高校時代もねアイツにきつく当たられて、それが、トラウマみたいで貸し続けたのです。だから、喧嘩腰で来られるとね・・・。恥ずかしい話しだが怖いのが苦手なだけですよ。ははは。それ以外ありません」と無理な笑顔を作っていた。これ以上聞いても言わないだろうとオレはそれ以上問い質すことはしなかった。素人との喧嘩に負けるはずがないからだ。でもそれが間違いのもとであった。

 3ヶ月後、その百姓は猟銃を持ってあの金融屋に乗り込んだ。その時オレは石田の顔を思い浮かべたのだった。奴もやられたのだ、と。
金融屋はオレの携帯を鳴らした。
「南無っ!たすけてくれっ!」金融屋の城石からだった。ただごとではない声の震えに緊迫感が伝わってきた。
「どうしたんだ?」とオレは平静を装った。こんな電話はよくあることだからだ。受話部分を強く耳に押しあて、運転中だったオレは車を道端に止めた。
「経川が鉄砲持って来やっがった。お前がなんとか説得してくれ。もう、辛抱たまらん」オレが電話に出たことによって城石は少しは落ち着いたようだった。
「原因は何だ?」聞かなくとも判る。不法金利か”騙し”がバレたかだろうと俺は思った。でも、なんで鉄砲持っていやがる。
「とにかく、”銭は払えない”の一本槍だよ。うひゃーっ!けぇーっ!」あとは悲鳴になった。しばらくすると、電話を取り上げたらしく”債務者”経川が出た。
「経川さん、南無です。何かあったのですか?」とわざと落ち着いた声でとぼけて言ってみた。
「南無かっ!あんた等でオラを騙しやがって。許さんから、ここへ来いっ!でないと、こいつら全部撃ち殺すからなっ!」興奮した口調だったが、前も石田と” ある”と踏んでオレは説得を試みることにした。まわりの事務具なんかを蹴り倒しているらしく大きな音が何回も響いて聞こえた。
「わかりました。でもそっちへは行けない。来客があったら”大騒動”になるだろう。こんな事でアンタも警察に捕まりたくないだろう。二人っきりならアンタの指定する所まで行きます。それでどうでしょうか?条件も聞きます」と返した。
「ふんっ!オラがおっとろしいのか?へなちょこめがっ!」と荒い呼吸が伝わってきた。自分で自分を興奮に高めた時の状態だろう。ふん、とうしろがっ!これからが地獄の一丁目だぜ、とも思った。鉄砲でテッポウするとはシャレにもならねぇ。それよか許せねぇ、と憎悪が頭をもたげてきた。
「時間と場所を言って下さい。約束は守りますから落ち着いて下さいよ、経川さん。お願いします。どれだけでも私が謝りますから」と声をわざわざひきつらせて高音にした。奴はこれで引っかかるはずだ。しばらく考えているらしく、聞き取れなかったが城石に怒鳴りながら何か言っているようだった。二、三分して再び経川は言った。
「ようし、わかった。今晩7時にオラの指定する所まで来い。一人で来るんだぞっ!わかってるんかぁっ!」受話器の声は割れていてオレは耳を離した。
「オラはいつでも引き金は引けるんだ。忘れるな」とも言った。彼は意気揚々と帰った。そしてオレは急いで金融屋のところへ駆け込んだ。

 城石の目はつり上がっていた。興奮いまださめやらずという所だろう。取り敢えず謝るしかないだろうと思い頭を低く下げた。
「とんでもない客をもってきたもんだよ。一体お前は”あとしまつ”どうするんだよ?ふぅ~っ!」と大きな溜息をついた。
「申し訳ないことしました。ケツモチはします」とオレは素直に装って城石に謝った。しばらく時間は流れた。城石は自分から喋ろうとしなかった。”ケツモチ”の内容をオレの口から聞きたいのだった。オレはわざと時間を長くしてみた。もっと苛ついたほうがオレにとってはいいのだ。
「提案ですが社長、喋っていいですか?」とオレは申し訳なさそうな顔で言った。
「言ってみろ」怒った顔はそのままだった。
「ご存じのようにオレは今晩、経川に会いに行かなければならない。わかりますね?」城石は一瞬戸惑いの表情を見せた。構わずオレは話しを続けた。
「オレはアイツを単なる百姓ぐらいにしか思っていなかったことは事実です。社長を騙したわけではありません。しかし責任はあります。と、言っても、ただ何も無しで行ってもあの野郎はまた暴れに来るだろうと思います。それどころかオレに鉄砲ぶっ放すかも知れません。オレもおっとろしんですよ。それで土産が欲しいわけですよ。でもね、社長には勘違いして貰いたくないのです。債権はきっちり上げるつもりです。ですからオレの指示に従って貰えませんか?」それだけ言うとオレは城石の返事を待った。
「わかった。ワシもあんな奴は二度も三度も会いとうない。お前の指示通りにしよう。任せるよ」と深い溜息をついた。これで言質はとった、とオレは内心笑みを浮かべた。待ってろ経川、トウシロがっ!どっちへ転ぼうが、この勝負はオレの勝ちだぜ、と。
 城石に簡単にオレの作戦を説明し、色々な書類に印鑑を押させた。金融会社の根抵当権設定の権利書、根抵当権抹消登記の委任状、借用証書、等々。抹消登記の委任状は城石のもう一つの別会社の横判を押させ無効に、公正証書に組み直した借用書は持参せず、と云う大まかなスタイルになった。どうせ鉄砲で脅した脅迫にもとづく抹消登記には効力なんかない。これで道具は揃った。嘘がばれなきゃ”無事”というもんだ。

 万が一も考えてオレは早めにシャワーを浴びて身を小綺麗にした。熱いシャワーはオレの闘志をかき立てた。しかし「万が一」が怖かったのは言うまでもない。こんな場面は誰でも区別無くいやなものだ。しかしオレには経川の素人としての計算が手に取るように判っていた。”降参”と云えば勝ち誇るだろうと。しかしオレは石田のようなわけにはいかないぞ、経川さんよ。念のため当初の”依頼主”の石田に電話をした。今日の出来事を簡単に話した。電話口でしきりに俺に謝っていた。鉄砲事件は勿論彼のほうが早く経験済みであった。狡さのお釣りは大きくなるぜ、とオレは心の中で石田から事後むしり取る算段をしていた。オレは思った、これを”事件”にしなきゃなにが事件かっ!たっぷりとみんなからしゃぶってやる・・・。とは言うもののオレが生きていればの話しだ、が。経川が暴力的ゆえオレの身が心配だった。道具を持つと人間は変わる、とヤクザモンに教えられていたからだ。恐怖は”金と云う懸賞金”で乗り越えるしかない。金のニオイの無い恐怖は願い下げ、逃げるが勝ちだ。
 6時半頃経川から電話が入った。場所はやはりヤツの郊外にある自宅ではなく市内の中心にあるマンションの八階だった。金貸し泣かして豪華生活か、けっ!なにが給料取りの百姓だ。
 インターホンを7時きっかりに鳴らした。カメラ付きの豪華版だ。中から小柄なフィリピン嬢が出てきた。ドアを空けると彼女は廊下まで出て辺りを見回した。
「オレは一人ですよ」とその女に言った。そのままオレは女に中を案内された。市内の夜景が一目で眺められる大きなリビングだった。会社員であることは事実だがこんな野郎はいないだろう。オメコにイカレている証拠だ。
 経川に促されて革張りのソファに座らされた。経川の横には銃底を下にして専用の猟銃台座に銃が置いてあった。トラップには精巧な女が彫られていてベラッチのオプションのようだった。ただの月給取りではなかった。腕前も相当とオレは看てとった。さしずめオレも害獣というわけだなと妙な感心もした。
「変なモン持ってきていないだろうな。鞄を前に出せ。それから立って手ぇ挙げて後ろ向け」と銃に手を延ばしながら言った。オレは素直に従った。そして、ボディ・チェックが終わるとそのまま経川の目の前で土下座して頭を下げた。
「まことに申し訳ありません。後日色々なことを聞きました。城石が無法の金を要求したことも・・・。すべてオレの責任です。この通り許して下さい。何でもアナタの言う通りにします」と涙声になるように言った。そして頭を絨毯にこすりつけるように下げ続けた。しばらくすると経川は嘲笑いながらオレに言った。
「おいっ!南無!まだ頭の下げ方、たらないんじゃないの。もっと擦りつけるようにしばらくしとれっ!ははははは」そして銃底の角を思いっきりオレの背中に振り下ろした。激痛が走りオレはその場で蹲るようにして倒れるしかなかった。あまりの痛さに目から涙が出て獣のような唸り声を上げた。
「勘弁して下さい!お願いです!」情けないが全くの涙声だった。
「馬鹿野郎!クズがぁっ!」経川は興奮しだした。オレは身の危険を感じて震えが全身にまわってきた。ガタガタと。そして震えながらオレは必死に言った。
「解決しに来たんですっ!話しを聞いて下さい」話を本筋に戻さなければヤバくて辛抱たまらん。
「オラが決めることだろうがっ!馬鹿がっ!」とオレの顔を片手で上げさせ睨みつけた。オレはまた絨毯に顔をすりつけた。そして、頃合いを見て顔を上げた。
「その通りです。書類も色々持ってきてるんです。聞いて下さい。お願いします」とオレは経川の顔を見た。
「じゃ、オラに見せろ」経川は冷静さを取り戻したようであった。ふぅー、助かった。これからが本当の実戦だよ、半端な知識が知恵に殺されるという。オレは痛みに堪えながらそう思った。あとは一か八かの口車の世界だ、口上はおめぇより上手いぜ、と。
 あとはすっかりオレのペースになって話は進んでいった。オレはアンタに一生ついて行きます、とオレは経川に何度も言った。アニキと呼ばせて下さいよ、とも。こうなれば何でも言えばいいのだ。書類はすべて信じた。根抵当権が登記抹消され、借用書が帰るとなるとアホは信じるものだ。そしてその肝心な借用書を返すと、もう御機嫌になって女にオレにお茶を出せとまで言うような張り切りぶりだ。予想通り勝ち誇っていやがる。こいつはやはり根っからの善人なのだ。恐怖はこいつにこそ降り注いでいるのだと思った。
「登記手続きはどうしましょうか?」とオレは経川に聞いてみた。ここが肝心な所だ。相手は暴力によってオレを支配したと思っているかどうかの判断にもなるのだ。
「南無が代書屋に持って行ってくれ。オレのハンコは認め印でいいのだよな」と言って立ち上がりベラッチを台座に置き、奥の部屋に消えた。しばらくすると印鑑をテーブルに転がし、女にウイスキーを二つ持ってくるように言った。”かかった”と思った。支配する暴力はオレのほうが知ってるよ、ふふふ、だと心の中でほくそ笑んだ。
「それでですね、アニキ、登記が完了するまで1週間ぐらいかかると思うのですけど、どうでしょうかね?」とオレは猫撫で声で問うてみた。
「そうだな、代書の先生に任せるしかないやろ」と軽く返事をした。確実な地獄行きの切符を持たされるとも知らずに、だ。
「じゃ、俺に任せて下さい。代書屋は堀端町の木下先生にお願いしてきます。ウイスキーのお代わり戴きますよ。アニキ」と手揉み同然に奴の御機嫌をとりだした。そして気になることをヘタな芝居を打ちながら聞いてみたりもした。会社のこと、兄弟のこと、年老いた母親がいること、フィリッピン嬢の存在をまわりに隠している事等々、脆く保守的な階級であることが判った。オレはそれを聞きながら追い込みの絵図を組み立てていた。そして、その夜は遅くまで経川とウイスキーを酌み交わした。体の痛みを忘れるために。
 残された日数は7日間。オレの嘘に気づいた時に経川はきっと暴走するだろう。この攻め合いに果たしてオレの勝ち目があるのか。ヤツの懐深く押し入るしかなかった。心の奥隅の澱みから何度もぶくぶくと恐怖に囚われたように妄念が湧き出てくる。その晩部屋に戻ったオレは朝まで眠ることが出来なかった。目を瞑るとオレの脳漿が飛び散るイメージが眼球の中で際限なく繰り返された。まだ俺の頭にウイスキーが残っているのか?そして明け方意識を失うように眠りに落ちた。

 電話の音が夢の中でリンリンと鳴っていた。はっと起きあがると午前10時をまわっていた。背中の痛みが激しく思わずオレは唸り声を上げた。左腕を上げると痛みがいっそう増した。そのままシャワーを浴び鏡で背中を見た。肩胛骨の下がどす黒く腫れていた。どうやら骨は大丈夫のようだった。これも道具だ、とオレはこれからの行動に思いを巡らせ、素肌に薄手の白いワイシャツを選んだ。
 さて、と。頭で描いた絵図をもう一度組み立てた。そして石田と城石に電話を入れアポをとった。たぶん今日一日で勝負の行方が見えてくるはずだ、と。
 石田は待っていた。
「この通りだよ」とオレはワイシャツを脱ぎ腫れ上がった背中を見せた。いかなる言葉の説明より早いからだ。
「無事でよかったです。南無さんに何かあったらと思うと心配です。・・・・・。ところで私は大丈夫ですかね?」石田にとってはオレのことよりも自分の身が心配なだけだ。
「うん、それをオレも気にしているんだ。なにしろ、興奮すると手に負えないくらい”暴発”するのでね。今のところはオレへの怒りは少し治まったようだが。まだ終わっているわけではないよ。ほんとの喧嘩はこれからだからね」とオレは石田の不安をもっとかき立てるようにいった。
「と、いうと?」石田は不安そうな顔で落ち着きが無くなってきているようだった。
「”キリトリ”が残っている。城石の元金と金利が未精算だ。いわばアンタの身代わりに金銭の損害が出たのだからな。従って今晩あたりからモメルかも知れない」オレは石田の恐怖を利用することした。そして更に続けた。
「つまり、2、3日身を隠しておいてくれないかな?オレは立場上逃げるわけにはいかないが、あんたはさ、ほれ、商工会議所の視察旅行とか、何とでも理屈はつくだろう。しばらく女のところでひっそりして貰いたいのだよ。オレがアイツとぶつかったとしてだな、とばっちりは必ずアンタのとこへ行くと思うんだよ。被害妄想とはいえ今もアンタを恨んでるからなぁ。アンタがちょこっと隠れているだけでオレは”仕事”がし易くなるんだよ。このままじゃ、アンタが足手まといでしょうがないよ。オレはスーパー・マンでないのでな。自分を守るので精一杯だ」
 勿論石田の反応はイエスだった。そして、城石も石田に見習って金沢の女のところへ早速飛んだ。これで、いいのだ。

 オレは午後2時頃自分の部屋に戻り電話をかけまくった。さて、発火だ、と。まずは経川の勤めている北陸合成化学の人事課へオミズの店長を名乗りキツイ口調で電話口に出た男を脅しまくった。フィリッピン女を休ませてばかりいて困っている、これじゃ営業妨害だ、経川をクビにしてウチの店で働いて貰う等々と大声でわめき散らした。次に経川の姉と弟の家に電話した。本人が出ようが出まいが関係なかった。とにかく出た者に金融業の商号を名乗り、借金は返さないは、外人女にみつぐは、猟銃で脅されるは、で警察に行くしかない、てなコトをわめき散らした。姉の家は当人が、弟の家はその妻らしき者が出ていづれも最後にオレに謝っていた。そして仕上げに経川の老いた母に電話した。これで保守的で脆い百姓一族は緊急に実家に集まるだろう。そして、彼は暴発する、と。
 その夜オレはあとの動きを見ようと部屋に鍵をかけてまんじりともせず待っていた。電話が鳴るのは早かった。午後9時過ぎだった。経川の低い声が向こう側から聞こえてきた。
「南無、オラは今から外へ出る。頭の中がくるくる回っていて、みんなの前に座っておれない」オレに対しての怒りは感じられなかった。どうやら、ざわついているまわりの音を考えると実家から電話をしているようだった。そしてオレの毒薬がまだ効いているのかも知れないと思った。
「アニキ、一体どうしたんですか?」とオレは早く経川の心の中を覗きたくウズウズしていた。経川は喋り出した。実家に姉夫婦や弟夫婦、叔父、叔母まで来ていて、泣き崩れる年老いた母の前で非難、糾弾を浴びたようだった。これは予定の出来事だった。
「城石の家に電話したけど大阪へ出張に行ったと奥さんが言っていたよ。石田も視察旅行かなんかでロシアへ行って居ないんだ。オラの頭ではわからんようになった。南無、オラはどうなるんかな?」経川は自分の置かれている立場を理解することに疲れたような口ぶりだった。予想とは違った展開になって行くようにオレには思われた。それならそれでも結構、どのみちヤツのほうへは水は流れないのだ。
「アニキ!落ち着いて下さいよ!オレがついてますよ・・・。あっ、それと明日、オレ警察に呼ばれてるんです・・・・。理由は言われなかったのでわかりませんけど・・・」向こうの電話口の息使いに溜息みたいな音が聞こえた。そしてオレは更に言うことを忘れなかった。
「それってアニキのことかなんか、かな。オレは絶対警察なんかに歌いませんから安心して下さいな」とわざわざ声を落として経川に言う事を忘れなかった。
「南無よ、オラはどうすりゃいいんかな?会社クビになって刑務所に入れられるんか?おふくろはどうなるんかな?」電話の向こうで泣いているようだった。怒りと悲しみが背中合わせになってしまっていた。オレは弱いが故に暴力的になる素人の典型的な姿をそこに見た。
「とにかく、例のアニキのマンションで会いましょうよ。オレも一緒に考えますから。明日の警察の調べも”口裏対策”しなければいけませんから詳しく教えて下さいよ」とオレは経川にたたみ込んだ。
「いや、今晩は女のとこへは行かん。一人で考えたいんだ。明日にしてくれ。朝オラの携帯に電話してくれるか?」経川は涙で鼻を詰まらせながら情けない声になっていた。
「アニキがそこまで言うんだったら、わかりました。明日7時頃に電話いれます」
 そして電話は切れてしまった。オレの予想とは外れてしまって、経川の暴力的な部分は消え去ってしまっていた。火種になるだろうと思われた城石や石田が居なくてよかったとも思った。とにかくオレは頭の中の絵を組み直す必要に迫られたようだった。念のためその日は部屋で寝ることはやめた。まだ銃の脅威の元にあることは確かなのだから。

 午前7時、梅雨の中休みなのか早朝から空は晴れ上がり温度計はどんどん上がり続けた。外に出ると太陽がまぶしかった。今日は蒸すな、とオレは上着を脱いで車の中に入り経川の携帯を鳴らした。電源が入っていないらしくサービス案内が流れ出した。その時オレは何ら気にしなかった。そして早朝のコーヒー・ショップで新聞を読みながら時間をつぶすことにした。店内は人でいっぱいで騒々しかった。世の中、可もなく不可も無く流れていくのか、と思いながら人々の朝の流れを眺めていた。読んでいた新聞を広げ直す時に背中の痛みがぶり返してきた。そして、その痛みでハッと我にかえった。まさか経川は・・・、と。オレは名状しがたい不安に囚われてしまっていた。何度も何度も妄想をうち消すように頭を振った。ついにオレは居ても立っても居られなくなり、コーヒーもそこそこに外に飛び出し、石田の携帯に電話を入れた。石田は不安そうな声で電話に出た。
「あのな、石田さんアンタのランド・ローバーを貸してくれないか?」と声早に話した。石田は戸惑っているらしく、なにかモゴモゴ言っていた。要するに自分の女のマンションを知られたくなかったようだった。オレだってそんなこと知りたくもねぇよ。
「部屋まで来ないよ。駐車場に下りてきてくれないか。すぐ着くよ」とヤツの返事も聞かず電話を切った。
 石田はパジャマ姿のまま間の抜けた顔でオレを待っていた。説明もそこそこに、一日だけ借りるよ、と言って、俺の車の鍵を石田の手のひらに残しランド・ローバーに乗り込んだ。とりあえず常願寺川の渓谷沿いを当てずっぽで、あっち、こっちの林道に入り込み経川の四輪駆動車を探し求めた。日中には気温が30度を越え車のエアコンの設定を下げた。山間部は何処も湿度でムッとしていた。午後になっても手がかりは無かった。電話は相変わらず繋がらなかった。オレは県道沿いまで下がって、サービス・エリアに車を止めた。自販機で冷えた缶コーヒーとウーロン茶を買いエアコンの効いた車内に戻った。林道は網の目のようになっていて一日中かけても無理かも知れないな、と思い、市内のヤツの女のマンションに向かうことにした。

 川沿いの県道を下がりながら、オレは河川敷に拡がるグミ林をぼーっとした目で眺めていた。若い連中が仲間内でバーベキュをやっているグループがいくつも目に入ってきた。のんきな奴らだぜ、と思いながら更に向こう岸に目を向けた。一瞬だがグミ林の陰に経川の四輪駆動車の赤い屋根が見えたような気がした。そうだ、ヤツは雉撃ちもするはずだ。山だけではなく川もあり得る。河川敷と言っても川幅なりに草や雑木が拡がり400メートル程度の幅で数キロ続いていた。グミ林がジャングルのようになっていて堤防沿いで見る視角とは変わり、太陽が煮えたぎっている空しか見えなかった。車を止めボンネットに上がりまわりを見渡してみた。2、300メートル通り過ぎたらしく、赤いものは見えなかった。オレはバックして少し戻った。低速ギアに切り替えて小さな流れを横切り道から外れてみた。
 しばらく草をなぎ倒しながら進むと10メートル先ぐらいに赤いランド・クルーザーがあった。間違いなく経川の車だった。中に経川が居るようだった。オレの体が少しづつ震えだした。気を取り直すように車の中でオレはもう一度ランド・クルーザーの中を見たがここからではよく見えなかった。人影は動かなかった。オレは車から降り、それに近づいた。震えは極限にまで高まり足までガタガタ、ガタガタとしていた。正面から見ると経川の首が折れてハンドルに頭がのっている様に見えた。そして頭後ろ半分が無かった。運転席側にまわってみると閉まった窓の内側には真っ黒なものが一面こびり付き数匹のハエが飛んでいた。ハンドルの下にはベラッチが斜めに立てかけてあるようにあった。猛烈な死臭が鼻に入り込み、頭がクラクラしだしてオレは車から離れた。
 オレは車に戻りしばらく考えた。死臭はここまで漂ってくるように思え窓が閉まっているかどうか確認した。ワイシャツの袖の匂いを嗅いだ。実際にはついているはずがないのに頭の中でヤツの吹っ飛んだ脳味噌の臭いが漂っているように感じた。吐き気を催し車外に出て何度も何度も吐き続けた。だらだらと頭や顔から汗が滴ってきて目の中に入り込んだ。これがヤツの答えなのか。えっ!経川よ!こんなにもおめぇはあっけないのかよ。料理する暇もないくらいに地獄へまっしぐらかよ、吐きながら涙にむせてオレはその場に座り込んだ。空を見上げると陽は少しずつ下がろうとしていた。経川っ!この毒は皿まで喰らってやるよとオレは心の中で叫んでいた。
 オレは知り合いの刑事に連絡を取った。警察が来るまで石田と城石には経川が死んだことを伝えた。二人とも巻き込まれていることの恐れをそれぞれの立場で愚痴っていた。こうなった以上、事情聴取を避けることが出来ないからだ。オレは二人に言った、お前達はしょせん民事上の人間でしかないから心配するな、と。
 辺りには夕暮れの気配が漂い始め草いきれのような湿気が死臭と共にオレを覆った。やがて夕陽を背にしながら警察車両がやってきた。長い夜になるだろうとオレは覚悟をした。

 翌日、オレに参考人としての最後の事情聴取が行われた。しょせん自殺に過ぎなかった。オレは知り合いの刑事に言った。猟銃の脅しが絡んでいるんだ。被疑者死亡だよ、と嘯いた。ウラをとると関係者の石田も城石も被害調書は出さないと言った。それで終わりである。事件にする程お役人は暇ではないのだ。そしてオレの仕事はまだ終わっていない。城石の債権は民事上有効であり、今もオレに任せられているのだ。
 オレはしばらく日をおいて城石の事務所に行った。仕事の仕上げに向かわなければならないからだ。
「ようやく終わったよ。通いじゃなくてよかったよ。ヒネの方からこっちへ出向いてくれたんでな」と城石は事のあらましをオレに話してくれた。どうやら石田と同じ扱いらしかった。
「ところで、ここに先日の書類がそのまま残っている」とオレはテーブルの上に預かっていた一式書類を広げた。話を続けた。「それでですね、経川に関しての他の書類も預からせて貰えませんか?キリトリの準備もありますのでいいですか?」と城石に話しを振った。
「なんなんだ?すべての書類はお前に見せたじゃないか。あれで全部だよ。それにこの事件は落着だ。あとはワシが時間をおいてやっていく」と城石はオレにむっとした顔を見せた。オレはいつも裏シャク(借用証書)を債務者の頭の混乱に乗じてとっているのを知っていた。だから、出せ!と言っているのだった。
「社長、ここんところを良く聞いて下さいよっ!いいですか?私の仕事はまだ終わっておりません。アンタはオレに任せると確かに言ったはずではないですか。違いますか?」根抵当権の極度額は1千万円。あとは原因証書の金額がいくらに書きこんであるかが大事なのは言うまでもない。死人に口なしとなった今、元金400万円で済むわけがないのだ。しばらく沈黙が続いた。
「わかったよ、まったくお前はハイエナだな。元金、金利は絶対負けれないぞ!」城石は立ち上がり金庫から一枚の借用書を取り出した。900万円と書き込まれていた。これで遺族へ攻め入る道具は揃った。

 数日後、経川の実家へ、夜訪問した。もう落ち着いてきた頃合いだからだ。焦心を隠せない老いた母に経川の弟が付き添った。仏壇の前に経川の骨壺が錦にくるまれてあった。オレは焼香を済ませ10万円の入った”御仏前”を老母に渡して頭を深く下げた。
 親友だったというふれこみで行ったオレは白々しくもこう言った。金貸しに交渉して”金利はまけて貰いました”と。話しはあっけなかった。弟がすべて責任を持って”処理”しますと云った。「ご迷惑をかけました」とも言った。五日後、弟に代書屋(司法書士)へ呼び出されて900万を受け取った。取り敢えず農協から借りたらしく、そいつらも来ていた。

 オレは500万を城石に渡し、”完了”を告げた。蒸し暑さは今夜も続いていてオレの体に死臭を漂わせていた。

享年46歳 合掌

-了-