2005年3月13日日曜日

閉ざされた男

 朝の点呼は一瞬で終わるものなのだが、たまに手違いというものも起きる。朝の未決舎房は爽やかにキリリとしていなければならないのだ。起床から点呼までには、これはこれでいろんな雑用もあり時間が思うようにまわらない時もある。変な話しだが排便は要領よくやらねばならない。当たり前のことではあるが雑居房の居住人口が増えてくるとスピード、カラーは部屋長が思うようには統一出来ないようになってくるものだ。オレが次席になっていた頃だったが、アホが増えた時があって随分部屋長が苦労していた時期があった。
 ある朝の点呼ギリギリまで便所に座っていた若いヤクザ者がいた。廊下の向こうからこちらに少しずつ近づいてくる点呼の声がしているので正座して所定の位置(横二列)に着いている我々はお互い顔を見合わせてガラス張りの便所を見た。朝から腹が痛いと言っていたヤツはまだしゃがんでいた。頭も悪いがケツも重い野郎なのである。オレは末席の太郎(懲役太郎)に合図を送り便所のドアをノックさせた。当人はすぐ意味が分かったらしく、慌ててズボンをたくし上げノブを回した。しかし、どういうわけかなにかに噛んでしまったらしくドアノブはまわらないままに彼は中に閉じこめられてしまった。最初は皆冗談だと思っていて、太郎に言って外からノブを回させたが本当に壊れているらしく空回りをするだけでドアは閉まったままであった。そして点呼は隣の部屋の扉を開けた音がした。慌てて太郎も作業もあきらめ所定の位置に座った。ギリギリであった。
 房室の扉は大きい音を立ててガチャンとあいた。
「番号っ!」
25番から始まり31番迄連続で終わらなければならなく、それぞれそのまま自分の番号を言うしかなかったが、瞬時にそれは取りやめになった。オヤジさん(舎房長)はむっとした表情でぐるりと部屋の中を見渡し。
「29番っ!どこだ?」
「便所でありますっ!」と部屋長はまっすぐな姿勢でオヤジに答えた。みんなであらためて便所を眺めると、ガラス越しの中で泣きそうな顔をして29番は立っていた。そしてこの馬鹿野郎は「29番っ!」と大声で何度も中で叫んでいた。深夜でもなく声はかすかにしか聞こえなかった。またそれは大体が点呼と呼べる代物ではなかった。笑うわけにもいかず全員で忍び笑いを堪えていた。点呼で笑いは禁物なのであった。すぐさま警棒を持った看守が二人上がってきてドアのノブを回した。
「29番っ!貴様っ!なめとんのかっ!あけろっ!」どうやら看守は中で29番が故意でやったのかと思った様子だった。
「勘弁しくださいよぅー、壊れたんですよぅー、御免なさい」ともう泣き声になっていた。オヤジはもう一人にすぐさま工具箱を持ってこさせ、なんとか事なきを得てノブを外し29番は部屋に出ることができた。そして我々は全員正座をし直し、看守も元の位置に戻り、改めて緊張の趣で再び始めることになった。
「番号っ!」オヤジさんの声は一段と大きな声になった。両隣の連中も側耳を立てているはずなのだ。
25番っ!、・・・・・、28番っ!と進み、オヤジはギロリと29番を睨みつけた。神聖な点呼を台無しにした男である。もの悲しくも大きく長い音で29番の尻から屁の音が部屋中に響きわたった。
そして29番は神妙な顔つきで言った。
「ありゃ、中身も出たっ!」
オヤジさんは引きつった顔をしながらも、もう一度叫ぶように言った。
「番号っ!」
「25番っ!」・・・・、「31番っ!」と長かった我々の部屋の点呼が終わった。そして何事もないような顔で隣に移っていった。
 しばらくすると再び部屋の扉が開けられ。29番は着替えと共に廊下へ立たされた。
「きをつけっ!前へっ!」と看守はほとんど怒鳴っていた。
29番は風呂場への道を行進して行った。ケツをもぞもぞ振りながら。

-このショート・ショートを愛を込めてPaco Garciaに捧げる-